アンリ・ソーゲ
アンリ・ソーゲ Henri Sauguet | |
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基本情報 | |
生誕 |
1901年5月18日 フランス共和国、ボルドー |
死没 |
1989年6月22日(88歳没) フランス、パリ |
ジャンル | 近代音楽 |
職業 | 作曲家 |
アンリ・ソーゲ(Henri Sauguet, 1901年5月18日 ボルドー- 1989年6月22日 パリ)は、フランスの作曲家。本名はアンリ=ピエール・プパール(Henri-Pierre Poupart)といったが、筆名として母エリザベトの旧姓を用いた。
略歴
わずか5歳で、母親の手ほどきでピアノを始める。その後ボルドーのサント=ウラリー教会のオルガニスト、ルロー夫人に師事し、宗教曲やオルガン曲の影響を受ける。
1919年から1920年までモントーバンに勤め、この時に《オーヴェルニュの歌》の収集者として知られるジョゼフ・カントルーブと親交を結んだ。
ボルドーに戻って、ルイ・エミエやジャン=マルセル・リゾットと「三人組」(Groupe des Trois)を結成し、1920年12月12日に最初の演奏会を行う。この演奏会では、「フランス六人組」の作品に始まり、エリック・サティの作品に続いて、「三人組」自身の作品が演奏された。ソーゲは自作の《黒人の踊り》(Danse nègre)と《ピアノのためのパストラル》(Pastorale pour piano)を演奏した。
1921年10月に、ダリユス・ミヨーに励まされ、ソーゲはパリで、ギメ美術館に務めるかたわら、シャルル・ケクランに師事した。1923年に、アンリ・ポール=プレイエルやロジェ・デゾルミエール、マクシム・ジャコブらとともに「アルクイユ楽派」(Ecole d'Arcueil)を結成し、エリック・サティに支持されて、1923年10月25日に最初の演奏会をシャンゼリゼ劇場で行う。
ソーゲは特にバレエ音楽を多数書いたことで知られる。1927年に書いたイソップ物語にもとづく1幕のバレエ『牝猫』(La Chatte)はジョージ・バランシンの振り付けでバレエ・リュスによって公演され、男性主役をセルジュ・リファールがつとめた[1]。彼の書いた26曲のバレエ音楽のうちもっとも有名な作品は1945年にローラン・プティのバレエ団のために書いた『旅芸人』(Les Forains)である[2][3]。ほかにスタンダール『パルムの僧院』のオペラ版 (La chartreuse de Parme (opera)) や映画音楽の作曲でも知られる[3]。
1989年に他界し、パリのモンマルトル墓地に埋葬された。
主要作品
歌劇
- コントラバス
- 記録
バレエ
- ダヴィデ
- 旅芸人
- 四季
- パリ
交響曲
- 山の交響曲
- 交響曲第1番
- 寓話交響曲「四季」(交響曲第2番)
- 交響曲第3番「I.N.R」
- 交響曲第4番「第3世代」
管弦楽曲
- 水夫の踊り
- 組曲「パリ」
- 3つのユリ
- 交響的行進曲
- 9月
- カンプラの主題による変奏曲
協奏曲・協奏的作品
- ピアノ協奏曲第1番
- ピアノ協奏曲第2番
- ピアノ協奏曲第3番
- ヴァイオリン協奏曲
- 庭の協奏曲
- 協奏的メロディ
- 木漏れ日
脚注
- ^ Diaghilev's Ballets Russes, 1909-1929
- ^ Joseph Stevenson, Les Forains, ballet, AllMusic
- ^ a b Bernard Holland (1989-06-23), Henri Sauguet, French Composer On the Satie Model, Is Dead at 88, The New York Times
外部リンク
- アンリ・ソーゲ Henri Sauguet (1901-1989) - ウェイバックマシン(2004年4月17日アーカイブ分)