エメル・トプラク
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Ömer Toprak | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
トルコ ドイツ | |||||
生年月日 | 1989年7月21日(34歳) | |||||
出身地 | ラーフェンスブルク | |||||
身長 | 186cm | |||||
体重 | 83kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | アンタルヤスポル | |||||
ポジション | DF(CB) | |||||
背番号 | 21 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1994-2001 | TSBラーフェンスブルク | |||||
2001-2005 | FVラーフェンスブルク | |||||
2005-2008 | フライブルク | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2007-2008 | フライブルクII | 24 | (0) | |||
2008-2011 | フライブルク | 68 | (4) | |||
2011-2017 | レバークーゼン | 154 | (5) | |||
2017-2020 | ボルシア・ドルトムント | 35 | (0) | |||
2019-2020 | → ヴェルダー・ブレーメン (loan) | 10 | (0) | |||
2020-2022 | ブレーメン | 47 | (3) | |||
2022- | アンタルヤスポル | |||||
代表歴2 | ||||||
2008-2009 | ドイツ U-19 | 3 | (0) | |||
2011-2017 | トルコ | 25 | (2) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2022年6月22日現在。 2. 2016年10月9日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
エメル・トプラク(Ömer Toprak, 1989年7月21日 - )は、西ドイツ(現ドイツ)・ラーフェンスブルク出身のサッカー選手、元トルコ代表。ポジションはDF(CB)。オメル・トプラクとも表記される。
経歴
クラブ
フライブルク
1994年にFSBラーフェンスブルクでキャリアを開始する。2005年には地元のライバルであるFVラーフェンスブルクを経てSCフライブルクの下部組織に入団し、2007年夏に2011年までの初プロ契約を締結する[1]と、同2007-08シーズンはトップチームでの出場はなかったが、レギオナルリーガ南部/南東部のBチームで研鑽を積み、リーグ戦とU-19ブンデスリーガで優勝を果たした。翌2008-09シーズン第2節のVfLオスナブリュック戦においてトップチーム初出場を飾って以来、主力としてプレーし、ブンデスリーガ昇格に貢献した。
2009-10シーズン開幕が待たれる中、2009年6月9日にレーシングカート中において別の車両のタンクが爆発して巻き込まれた。キャリアが危ぶまれる重度の火傷を負い、専門的な治療を受けなければならないほどだった[2]が、4ヶ月後に練習に復帰する[3]と、2010年1月6日のエルチェCFとの親善試合で実戦復帰を果たし[4]、2010年1月16日のハンブルガーSV戦(0-2)でシーズン初出場にしてブンデスリーガ初出場を飾り、65分まで出場した。
レバークーゼン
2011年5月2日、引退するサミ・ヒーピアの後釜として移籍金300万ユーロでバイエル・レバークーゼンと5年契約を締結した[5]。初出場を飾った1.FSVマインツ05戦(0-2)においてマルコ・カリジューリ(en)のクロスに対してオウンゴールをする[6]最悪の出だしにこそなったものの、マヌエル・フリードリヒ、ダニエル・シュヴァーブ、フィリップ・ヴォルシャイト、エミル・スパヒッチといった様々な選手と組み、主力としてチームの守備を支えたプレーが認められ、2014年1月22日には契約を2018年6月30日まで延長した[7]。
ボルシア・ドルトムント
2017-18より、ボルシア・ドルトムントに移籍した[8]。
2017-18シーズンは、マルク・バルトラからポジションを奪うことに成功し、26試合に出場した。しかし翌シーズンからリュシアン・ファーヴルが監督に就任すると、香川真司らと共に放出候補にあげられた。
ヴェルダー・ブレーメン
2019年8月11日、ヴェルダー・ブレーメンへ買い取り義務付きのレンタル移籍[9]。
代表
ドイツ
年代別代表では、U-19ドイツ代表としてUEFA U-19欧州選手権2008に参加する。前回王者のU-19スペイン戦で初出場し、3試合1得点を記録。決勝のU-19イタリア戦にも出場し優勝に貢献すると、その活躍に往年のDFユルゲン・コーラーから「近年見たジュニアレベルの中で最高」と称賛された[10]。
トルコ
2011年9月27日、自身の生まれ故郷であるトルコの市民権を取得したことでトルコサッカー連盟はFIFAに変更を申請[11][12]し、30日には、トルコ代表のフース・ヒディンク監督によってUEFA EURO 2012予選のドイツ戦、アゼルバイジャン戦へ向けて招集される[13]。11月15日にEURO 2012予選プレーオフ第2戦のクロアチア表戦において初出場を飾った[14]。
私生活
スィヴァス出身のトルコ人家庭に生まれ、姉1人と兄2人の4人兄弟の末っ子としてバーデン=ヴュルテンベルク州のラーフェンスブルクで育つ[15]。2人の兄もサッカーをしており、1人は負傷により引退したが、もう1人のハルーン(Harun)はプロサッカー選手として活動している[15]。また、従兄弟のラフマン・ソユドグル(en)も同じくサッカー選手[15]。
脚注
- ^ "Dutts Mut zur Jugend wird belohnt"
- ^ "Toprak droht sogar das Karriereende"
- ^ "Freiburg: Toprak hofft "Ob es reicht, muss man abwarten."
- ^ "Ömer Toprak spielt wieder für den SC Freiburg"
- ^ "Hyypiä macht zum Saisonende Schluss"
- ^ "Tuchels Elf überrennt Bayer"
- ^ "Vertrag bis 2018 - Bayer 04 verlängert mit Ömer Toprak"
- ^ エメル・トプラクが来季からBVBに加入
- ^ ÖMER TOPRAK WECHSELT ZU WERDER BREMENSV Werder Bremen 2019年8月11日
- ^ "Toprak! Kohler hat's geahnt"
- ^ "Ömer Toprak commits to Turkey"
- ^ "Toprak entscheidet sich für die Türkei"
- ^ "Turkey squad announced for Germany and Azerbaijan qualifiers"
- ^ "Millilerin 'Onur mücadelesi'"
- ^ a b c "Ömer Toprak: Toprağında futbolculuk var!"
外部リンク
- エメル・トプラク - Soccerwayによる個人成績
- fussballdaten
- weltfussball
- transfermarkt
- kicker