エリック・ヤング (投手)
基本情報 | |
---|---|
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ニューヨーク州マンハセット |
生年月日 | 1977年1月5日(47歳) |
身長 体重 |
6' 5" =約195.6 cm 210 lb =約95.3 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1999年 MLBドラフト11巡目 |
初出場 |
MLB / 2002年9月11日 NPB / 2008年4月15日 KBO / 2009年7月16日 CPBL / 2010年5月9日 |
最終出場 |
MLB / 2003年5月11日 NPB / 2008年5月17日 KBO / 2009年9月20日 CPBL / 2010年5月22日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
エリック・デバリ・ヤング(Eric DeBari Junge , 1977年1月5日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の元プロ野球選手(投手)。台湾球界での登録名は、艾力克。
来歴・人物
1999年のMLBドラフト11巡目(全体344位)でロサンゼルス・ドジャースから指名されて契約。メジャー昇格がないまま2001年11月9日にオマー・ダールとの交換トレードで、他のマイナー1選手とともにフィラデルフィア・フィリーズに移籍。2002年9月11日の対フロリダ・マーリンズ戦(ベテランズ・スタジアム)でメジャーデビューを果たす。
しかし、その後は振るわずニューヨーク・メッツとサンディエゴ・パドレスの傘下マイナーリーグ、アメリカ独立リーグのブリッジポート・ブルーフィッシュを経て、2007年はニューヨーク・ヤンキースの傘下マイナーリーグに所属。
2007年シーズン終了後、横浜ベイスターズの秋季キャンプにテスト生として参加するが不合格となった。
翌2008年、日本プロ野球(NPB)のオリックス・バファローズの春季キャンプでの入団テストに合格し、契約。テスト期間中、北京オリンピック野球日本代表の投手コーチとしてキャンプに視察に訪れていた大野豊はヤングを「デイビー以上。契約しないということはないでしょう」と絶賛していた。
開幕は二軍だったが、4月15日に出場登録され、その日の試合でNPB初登板を果たした。しかし敗戦処理でも打ち込まれる試合が多く、5月26日に登録抹消。その後は二軍暮らしとなり、10月3日に戦力外通告を受けた。一軍で打たれた2本の被本塁打は、いずれもロッテの今江敏晃に打たれたものだった。シーズン終了後11月に韓国プロ野球(KBO)・斗山ベアーズの秋季キャンプに参加したが、入団には至らなかった。
2009年は、シーズン当初はアメリカ独立リーグ・アトランティックリーグのランカスター・バーンストーマーズでプレーしていた。7月10日に、期待通りの活躍ができなかったビクトル・ディアスの代役としてKBOのハンファ・イーグルスと契約し、先発として起用されたが1勝にとどまり、最下位を独走していたハンファの救世主とはならず、この年限りで退団となった。
2010年も、シーズン当初はランカスターでプレーしていた。4月に台湾・中華職業棒球大聯盟(CPBL)の興農ブルズと契約したが、5月27日に退団し、6月にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとマイナー契約した。2011年も引き続き在籍。
2012年は、アトランタ・ブレーブスのマイナーでプレーした。
2013年1月に現役を引退し、サンディエゴ・パドレスのスカウトに就任した。その後はマイナー巡回のピッチングコーディネーター、ピッチングインストラクターを歴任[1]。
2021年8月18日、成績不振で辞任した前監督の後任として、パドレス傘下AAA級エルパソ・チワワズの暫定監督に就任した[1]。
プレースタイル
最速150km/hの速球とスライダーが持ち味だが、それ以外に実践的な球種が少なかった。また、制球力も良い方ではなかった。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2002 | PHI | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 56 | 12.2 | 14 | 0 | 5 | 0 | 0 | 11 | 0 | 0 | 3 | 2 | 1.42 | 1.50 |
2003 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 28 | 7.2 | 5 | 1 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 3 | 3 | 3.52 | 0.78 | |
2008 | オリックス | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 50 | 10.1 | 16 | 2 | 5 | 1 | 0 | 14 | 0 | 0 | 8 | 8 | 6.97 | 2.03 |
2009 | ハンファ | 12 | 11 | 0 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | 0 | .125 | 290 | 61.1 | 81 | 13 | 27 | 2 | 4 | 56 | 2 | 0 | 49 | 48 | 7.04 | 1.76 |
2010 | 興農 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 45 | 8.2 | 14 | 1 | 3 | 0 | 2 | 5 | 0 | 0 | 9 | 9 | 9.35 | 1.96 |
MLB:2年 | 10 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 84 | 20.1 | 19 | 1 | 6 | 0 | 0 | 16 | 0 | 0 | 6 | 5 | 2.21 | 1.23 | |
NPB:1年 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 50 | 10.1 | 16 | 2 | 5 | 1 | 0 | 14 | 0 | 0 | 8 | 8 | 6.97 | 2.03 | |
KBO:1年 | 12 | 11 | 0 | 0 | 0 | 1 | 7 | 0 | 0 | .125 | 290 | 61.1 | 81 | 13 | 27 | 2 | 4 | 56 | 2 | 0 | 49 | 48 | 7.04 | 1.76 | |
CPBL:1年 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 45 | 8.2 | 14 | 1 | 3 | 0 | 2 | 5 | 0 | 0 | 9 | 9 | 9.35 | 1.96 |
記録
- NPB
- 初登板:2008年4月15日、対福岡ソフトバンクホークス4回戦(京セラドーム大阪)、8回表2死に4番手で救援登板・完了、1回1/3を1失点
- 初奪三振:同上、8回表に仲澤忠厚から空振り三振
背番号
- 28 (2002年 - 2003年)
- 91 (2008年)
- 27 (2009年途中 - 同年終了)
- 70 (2010年 - 同年途中)
脚注
- ^ a b Andy Morgan (2021年8月18日). “Edwin Rodriguez steps down as Chihuahuas manager”. KTSM-9 TV. 2022年1月15日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、CPBL