オクタヴ・ラピーズ
獲得メダル | ||
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オクタヴ・ラピーズ | ||
自転車競技 | ||
オリンピック | ||
銅 | 1908 ロンドン | 100kmレース |
オクタヴ・ラピーズ(Octave Lapize、1887年10月24日 - 1917年7月14日)は、フランス・モンルージュ出身の自転車競技選手。
経歴
1907年、シクロクロスとロードレースのアマ・フランスチャンピオンに輝く。
1908年のロンドンオリンピックで、トラックレースの100kmレースに出場し銅メダルを獲得。
1910年、パリ〜ルーベを連覇。同年のツール・ド・フランスでは第5、9、10、14ステージを制する活躍ぶりを見せ、第13ステージ終了後、前ステージまで総合首位だったフランソワ・ファベールを交わして総合首位に立ち、最後は4ポイント差(1912年まで、ツール・ド・フランスの総合成績はポイント制で行われていた)いう僅差ながらもファベールを退けて総合優勝を果たした。なお、現在のツール・ド・フランスにおいても定番の難所として知られる、ピレネー山脈中央部に位置するツールマレー峠が1910年からコースに組み入れられたが、ラピーズは初代の首位通過選手であり、その記念碑がツールマレー峠にある。
また、1911年のパリ〜ルーベも制し、同レース史上初の3連覇を達成したが、その後同レースで3連覇を達成したのは、フランチェスコ・モゼール(1978年~1980年)だけである。さらに同年から1913年まで、フランス国内選手権・個人ロードレースにおいても3連覇を達成した。
1914年のツール・ド・フランスに出場の後、第一次世界大戦が勃発。ラピーズはフランス空軍のパイロットとして従軍したが、1917年6月28日、ムルト=エ=モゼル県のフリレイ付近で襲撃に遭い重体。同年7月14日他界した。