クルマンベク・バキエフ

クルマンベク・バキエフ
Курманбек Салиевич Бакиев

2009年撮影

任期 2005年3月25日2010年4月15日

任期 2000年12月21日2002年5月22日
元首 アスカル・アカエフ大統領

任期 2005年3月25日2005年6月20日
任期 2005年7月10日2005年8月15日
元首 クルマンベク・バキエフ大統領

チュイ州
知事
任期 1997年2000年

出生 (1949-08-01) 1949年8月1日(74歳)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
キルギス・ソビエト社会主義共和国ジャララバード州マサダンキルギス語版
政党 アク・ジョル党

クルマンベク・バキエフバキーエフとも、キルギス語: Курманбек Салиевич Бакиев, ラテン文字転写: Kurmanbek Saliyevich Bakiyev; 1949年8月1日 - )は、キルギスの政治家。大統領(第2代)、首相(第7代)などを歴任。

経歴

生い立ち

1972年、電気工学専攻で、クイブイシェフ工業大学(現在のサマーラ国立工業大学ロシア語版)を卒業。軍除隊後、クイブイシェフで電気工、後に電気技師として働いた。キルギスタンに戻り、ジャラル・アバドで技師として出世し、1985年、コク=ヤンガクキルギス語版市の「プロフィール」工場長となった。

政治家として

1990年-1991年、共産党市委員会第一書記、コク・ヤンガル市会議議長。1991年-1991年、ジャラル・アバド州人民代議員会議副議長。1992年-1994年、トグス・トロウス地区行政府を率いる。1994年-1995年、キルギス共和国国有財産基金副総裁。1995年-1997年、ジャラル・アバド州国家行政府第一副長官、長官。1997年-2000年、チュイ州国家行政府長官、チュイ州知事。

2000年12月から2002年5月22日まで、キルギス首相だった。5人が死亡し、80人が負傷したジャラル・アバド州での暴動後、解任された。2002年10月、バキエフは、議員に選出された。2003年2月、中道代議員グループ「キルギスタンの地域」に加わった。2004年から、キルギスタン人民運動を率いている。2005年3月、「チューリップ革命」でアスカル・アカエフが国外逃亡したことを受けてキルギス共和国大統領代行、首相に指名される。

大統領として

2007年11月14日総理大臣官邸にて内閣総理大臣福田康夫(右)と

2005年7月、キルギス大統領選挙で圧勝し、大統領に就任する。2007年10月、「輝く道」(アク・ジョル)党執行委員会議長に選出(大統領在職により党籍は停止)。2010年4月、バキエフ大統領の退陣を求めるデモ隊に対して警官隊が発砲し、首都ビシュケクは騒乱状態に。各メディアはバキエフがビシュケクから脱出し、元外相のローザ・オトゥンバエヴァが自らを代表とする暫定政府が発足したと宣言。政権が事実上崩壊したのちも大統領の辞任は拒否していたが、4月15日にキルギスから脱出し、事実上ベラルーシへ亡命。辞表に署名したとも伝えられる。詳しくは2010年キルギス騒乱を参照。

私生活

ジャラル・アバド州スザク地区マサダン村出身。7人兄弟の長男。兄弟の中では、4男のジャヌィベクが国家警護庁長官、少将、5男のマラートが駐独大使。妻帯、2児を有する。息子のマラートは、国家保安庁の課長、中佐。次男のマクシムは2009年から政権中枢入りし、一時は父親の後継者と目された。2010年にイギリス亡命を求めるものの、2012年ロンドン市内で逮捕されている[1]

出典

  1. ^ “チューリップ革命の旗手の息子が逮捕 汚職まみれの「王子」の結末は”. 産経ニュース (MSN). (2012年10月27日). https://web.archive.org/web/20121027145602/http://sankei.jp.msn.com/world/news/121027/erp12102707010000-n1.htm 2012年11月25日閲覧。 

関連項目

公職
先代
イシェンバイ・カドイルベコフ
(代行)
キルギスの旗 キルギス共和国大統領
2010年4月7日に事実上政権崩壊
第2代:2005 - 2010
次代
ローザ・オトゥンバエヴァ
(暫定政府代表)
先代
アマンゲリドゥイ・ムラリエフ
キルギスの旗 キルギス共和国首相
第7代:2000 - 2002
次代
ニコライ・タナーエフ
先代
ニコライ・タナーエフ
キルギスの旗 キルギス共和国首相
(代行)2005
次代
Medetbek Kerimkulov (en)
(代行)
先代
Medetbek Kerimkulov (en)
(代行)
キルギスの旗 キルギス共和国首相
(代行)2005
次代
フェリックス・クロフ