コンラッド・ヘルフリッヒ
コンラッド・ヘルフリッヒ Conrad Helfrich | |
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生誕 |
1886年10月11日![]() |
死没 |
1962年9月20日![]() |
所属組織 | オランダ海軍 |
軍歴 | 1903 - 1948 |
最終階級 | 海軍中将 |
コンラッド・エミール・ランベルト・ヘルフリッヒ(オランダ語:Conrad Emil Lambert Helfrich、1886年10月11日 - 1962年9月20日)は、オランダの海軍軍人。
人物
ABDA司令部のオランダ代表だった。先任のABDA海軍部隊司令官トーマス・C・ハート提督がアメリカに帰国後、後任の司令官となる[1]。しかし、ABDA司令部は1942年2月に解散した。
ヘルフリッヒは戦争の残りをセイロンで過ごし、オランダ領東インドのオランダ統治の復帰の準備をした。
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1945年8月、中将(Luitenant-admiraal、陸空軍における大将と同等)に昇進し、オランダ海軍全体の指揮権を与えられた[1]。1945年9月2日の戦艦ミズーリ上で日本の降伏文書にオランダ代表として署名を行った。
脚注
出典
- ^ a b “Vice-Admiral Conrad Emil Lambert Helfrich”. web.archive.org (2011年7月26日). 2024年9月15日閲覧。