サンティアゴ・オストラサ
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
本名 |
サンティアゴ・ホセ・オストラサ・ソサ Santiago José Ostolaza Sosa | |||||
ラテン文字 | Santiago OSTOLAZA | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ウルグアイ | |||||
生年月日 | 1962年7月10日(62歳) | |||||
出身地 | ドロレス | |||||
身長 | 190cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1981-1986 | ベジャ・ビスタ | |||||
1986-1990 | ナシオナル | |||||
1990-1992 | クルス・アスル | 72 | (8) | |||
1992 | ケレタロ | 38 | (2) | |||
1992-1993 | ヒムナシア | 13 | (3) | |||
1994 | 京都パープルサンガ | |||||
1995 | デフェンソール・スポルティング | |||||
1995 | オリンピア | |||||
1996 | ナシオナル | |||||
1997 | アウロラ | |||||
1998-1999 | レンティスタス | |||||
1999 | デフェンソール・スポルティング | |||||
2000 | モンテビデオ・ワンダラーズ | 18 | (1) | |||
代表歴 | ||||||
1985-1993 | ウルグアイ | 43 | (6) | |||
監督歴 | ||||||
2001 | リーベル・プレート | |||||
2001 | デポルティーボ・マルドナド | |||||
モンテビデオ・ワンダラーズ | ||||||
2004 | ナシオナル | |||||
サカテカス | ||||||
アラクラネス | ||||||
ゲレロス | ||||||
2010 | セロ・ラルゴ | |||||
2011 | エスポリ | |||||
2014-2015 | ウルグアイ U-17 | |||||
2015 | ラシン・クラブ | |||||
2017 | フベントゥド | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
サンティアゴ・オストラサ(Santiago Ostolaza, 1962年7月10日 - )は、ウルグアイ・ソリアノ県出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。
経歴
1980年にウルグアイのCAベジャ・ビスタでサッカー選手としてデビュー。1986年にクルブ・ナシオナル・デ・フットボールに移籍し、1988年にコパ・リベルタドーレスで優勝。インターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)のPSVアイントホーフェン(オランダ)戦では前半に先制点を挙げ、逆転されて劣勢に立たされていた延長後半終了直前(試合終了直前)には劇的な同点ゴールを決め、チームはPK戦で勝利し、彼自身もMVPに輝いた[1]。その後メキシコ、アルゼンチンのクラブを経て1994年にはJFL(当時)の京都パープルサンガでプレーした。主に中盤の守備的な位置でプレーしていたが、長身を生かしたヘディングも得意で、前述のトヨタカップでの2得点はいずれもコーナーキックからのヘディングによるものである。
ウルグアイ代表としては、1985年から1993年までに43試合に出場(6得点)、1990年のワールドカップ・イタリア大会にも出場した。
タイトル
- ナシオナル
- コパ・リベルタドーレス : 1988
- インターコンチネンタルカップ : 1988
脚注
- ^ “FIFA CLUB WORLD CUP の歴史”. NTV. 6 June 2020閲覧。