ザクセン=ゴータ

ザクセン=ゴータ公国
Herzogtum Sachsen-Gotha
ザクセン=ヴァイマル 1640年 - 1680年
ザクセン=ゴータ公国の国旗 ザクセン=ゴータ公国の国章
(国旗) (国章)
ザクセン=ゴータ公国の位置
首都 ゴータ
公爵
1601年 - 1675年 エルンスト1世
1675年 - 1680年フリードリヒ2世
変遷
創設 1640年
消滅1680年
先代次代
ザクセン=ヴァイマル ザクセン=ヴァイマル ザクセン=コーブルク公国 ザクセン=コーブルク公国
ザクセン=アイゼンベルク公国 ザクセン=アイゼンベルク公国
ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公国 ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公国
ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公国 ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公国
ザクセン=マイニンゲン公国 ザクセン=マイニンゲン公国
ザクセン=レムヒルト公国 ザクセン=レムヒルト公国
ザクセン=ザールフェルト公国 ザクセン=ザールフェルト公国

ザクセン=ゴータドイツ語: Sachsen-Gotha)は1640年から1680年まで存在した、ヴェッティン家エルネスティン系が統治した公国。領土は現ドイツテューリンゲン州の一部にあたる。

歴史

ゴータフリーデンシュタイン城英語版

1640年、ザクセン=ヴァイマル公ヴィルヘルムは弟のエルンスト1世のためにザクセン=ゴータの分領を創設した。エルンスト1世はゴータに居を構え、1643年から1654年まで自らの居城であるフリーデンシュタイン城英語版を築き上げた。また同時にザクセン=アイゼナハ公国も創設され、三男坊のアルブレヒト4世英語版が公位についた。

アルブレヒト4世は1644年に子のないまま死去、ヴィルヘルムが首都のアイゼナハヴァルトブルクを獲得した一方、エルンスト1世は残りの大部分を相続した。1660年、エルネスティン家アルベルティン家の間で数十年間争われたヘンネベルク家英語版領の相続[1]がようやく決着、ザクセン=ゴータもその一部を併合した。1672年にザクセン=アルテンブルク公フリードリヒ・ヴィルヘルム3世が後継者のないまま死去すると、エルンスト1世は妻エリザベート・ゾフィー・フォン・ザクセン=アルテンブルク英語版を通してザクセン=アルテンブルクの大半を併合した。このとき、エルンスト1世はザクセン=ゴータ=アルテンブルク公の称号を得た。

1675年にエルンスト1世が死去するときには公国の所領が創設時より大きく拡大した。長男のフリードリヒ1世英語版はまず弟たちと共同で統治し、続いて1680年に公国を分割した。フリードリヒ1世はゴータとアルテンブルク、およびザクセン=ゴータ=アルテンブルク公の称号を維持した。これ以降の歴史はザクセン=ゴータ=アルテンブルクを参照のこと。

ザクセン=ゴータ公の一覧

脚注

  1. ^ ヘンネベルク家は1583年に最後の男子ゲオルク・エルンストドイツ語版が死去して断絶したが、その遺領をめぐってヴェッティン家の両分家エルネスティン家とアルベルティン家が相続権を主張した。

参考文献