ジム・コルボーン
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カリフォルニア州サンタ・ポーラ |
生年月日 | 1946年5月22日(78歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 185 lb =約83.9 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1967年 |
初出場 | 1969年7月13日 |
最終出場 | 1978年10月1日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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国際大会 | |
代表チーム | スコットランド |
この表について
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ジェームズ・ウィリアム・コルボーン(James William Colborn、1946年5月22日[1] - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタ・ポーラ出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・スカウト。
経歴
プロ入り前
1945年にサンタ・ポーラで生まれ、サンタ・ポーラ高校を卒業[2]、在学中は生徒会長を務め、アメリカンフットボール、バスケットボール、野球の3競技を行っていた[3]。
ウィッティア・カレッジに進学し社会学の学位を得た[4]。大学では、バスケットボールと野球を続けた[3]。在学中には、コペンハーゲン大学への留学経験がある[3]。卒業後、ワシントン大学の修士課程へ進み、エディンバラ大学に留学した[5]。エディンバラ大学では、バスケットボールと野球のスコットランド大学代表に選出された[6]。
プロ入りとカブス時代
1966年、オランダで開催されたヨーロッパ学生オールスターゲームに出場し21三振を奪うが、その数日前にシカゴ・カブスが接触しており[7]、1967年6月19日フリーエージェント扱いで契約した[8]。当初シングルAのローダイ・クラッシャーズに所属していた。
1968年にはダブルAのサンアントニオ・ミッションズへ昇格した。
1969年、冬季のアリゾナ教育リーグを経てトリプルAのタコマ・カブスへ所属した[9]。
1969年7月13日、フィラデルフィア・フィリーズ戦でMLB初登板。先発投手として5回1/3イニングを投げ、勝利投手となった[10]。シカゴ・カブスでは、主にリリーフ投手として用いられ、先発を数試合こなす運用であった。
1970年8月14日のロサンゼルス・ドジャース戦で先発、ドン・サットンから初安打・初打点を記録している[11]。
1971年には、タコマ・カブスへの降格もあった。
ブルワーズ時代
1971年12月3日にミルウォーキー・ブルワーズへトレードされた[8]。
1973年に同年のMLBオールスターゲームに選出されたが、出場機会はなかった[12]。同年、ミルウォーキー・ブルワーズ初の20勝投手となった[13]。
1976年まで在籍したが、この3年間は負け越しが続いた、
ロイヤルズ時代
1976年12月6日、カンザスシティ・ロイヤルズへトレードされた[8]。
1977年5月14日、テキサス・レンジャース戦でノーヒットノーランを達成した[14]。この年、18勝を上げている。
1978年は、1勝を上げるも防御率は4.76と振るわなかった。
マリナーズ時代
1978年シーズン途中にシアトル・マリナーズへトレードされた[8]。
マリナーズでは、防御率5.35、3勝10敗と結果を残せず、フリーエージェントとなったが、契約するチームは現れなかった[8]。
引退後
引退後は3Aアイオワ・カブス投手コーチ(1984年 - 1986年)→カブス傘下マイナーリーグ巡回コーチ(1987年 - 1989年)を務め[15]、アイオワ時代の1985年にはかつて所属したローダイ・クラッシャーズのベンチュラ郡への移転に係わっており[16]、自らの名前を付けたジム・コルボーン・ベースボール・リーグを主催している[17]。
1990年には来日し、オリックス一・二軍投手コーチに就任。その後は一軍投手コーチ(1991年 - 1992年)、二軍投手コーチ(1993年)を務めた[15]。
帰国後はアスレチックス傘下1Aウェストミシガン・ホワイトキャップス監督(1994年 - 1995年)→モデスト・ナッツ監督(1996年)を経て[15][4]、マリナーズ環太平洋スカウト(1997年 - 2000年)を務め、この時期にイチロー・佐々木主浩の入団に係わっている[15][4][18]。1999年の映画ラブ・オブ・ザ・ゲームでは3塁コーチ役として出演[19]。
その後はジム・トレーシー監督の下でドジャース(2001年 - 2005年)→パイレーツ(2006年 - 2007年)の投手コーチを歴任し[15]、ドジャース時代の2004年には日米野球のMLB選抜投手コーチとして来日した[20]。
コーチ退任後はレンジャースの環太平洋スカウト部長(2007年 - 2012年)[21]、2013年にはシニア・アドバイザーとなった[15]。
2016年6月6日に第28回ハーレムベースボールウィークのオーストラリア代表コーチを務めることが発表された[22]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1969 | CHC | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 65 | 14.2 | 15 | 2 | 9 | 1 | 1 | 4 | 0 | 1 | 6 | 5 | 3.07 | 1.636 |
1970 | 34 | 5 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 4 | -- | 0.750 | 327 | 72.2 | 88 | 3 | 23 | 6 | 1 | 50 | 1 | 1 | 37 | 29 | 3.59 | 1.528 | |
1971 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | 0.000 | 50 | 10.1 | 18 | 1 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 8 | 8 | 6.97 | 2.032 | |
1972 | MIL | 39 | 12 | 4 | 1 | 1 | 7 | 7 | 0 | -- | 0.500 | 608 | 147.2 | 135 | 14 | 43 | 7 | 2 | 97 | 5 | 0 | 51 | 53 | 3.11 | 1.205 |
1973 | 43 | 36 | 22 | 4 | 3 | 20 | 12 | 1 | -- | 0.625 | 1287 | 314.1 | 297 | 21 | 87 | 5 | 3 | 135 | 6 | 1 | 111 | 133 | 3.18 | 1.222 | |
1974 | 33 | 31 | 10 | 1 | 1 | 10 | 13 | 2 | -- | 0.435 | 938 | 224 | 230 | 27 | 60 | 4 | 6 | 83 | 3 | 0 | 101 | 104 | 4.06 | 1.295 | |
1975 | 36 | 29 | 8 | 1 | 0 | 11 | 13 | 0 | -- | 0.458 | 879 | 206.1 | 215 | 18 | 65 | 5 | 5 | 79 | 5 | 0 | 98 | 111 | 4.27 | 1.357 | |
1976 | 32 | 32 | 7 | 0 | 2 | 9 | 15 | 0 | -- | 0.375 | 937 | 225.2 | 232 | 20 | 54 | 9 | 2 | 101 | 6 | 2 | 93 | 97 | 3.71 | 1.267 | |
1977 | KCR | 36 | 35 | 6 | 1 | 0 | 18 | 14 | 0 | -- | 0.563 | 1023 | 239 | 233 | 22 | 81 | 2 | 13 | 103 | 8 | 3 | 96 | 106 | 3.62 | 1.314 |
1978 | 8 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | -- | 0.333 | 128 | 28.1 | 31 | 4 | 12 | 1 | 2 | 8 | 0 | 0 | 15 | 18 | 4.76 | 1.518 | |
SEA | 20 | 19 | 3 | 0 | 0 | 3 | 10 | 0 | -- | 0.231 | 502 | 114.1 | 125 | 21 | 38 | 1 | 6 | 26 | 2 | 1 | 68 | 77 | 5.35 | 1.426 | |
'78計 | 28 | 22 | 3 | 0 | 0 | 4 | 12 | 0 | -- | 0.250 | 630 | 142.2 | 156 | 25 | 50 | 2 | 8 | 34 | 2 | 1 | 83 | 95 | 5.24 | 1.444 | |
MLB:10年 | 301 | 204 | 60 | 8 | 7 | 83 | 88 | 7 | -- | .485 | 6744 | 1597.1 | 1619 | 675 | 153 | 475 | 41 | 41 | 688 | 36 | 675 | 750 | 3.80 | 1.311 |
- 「-」は記録なし
代表歴
- 1966 ヨーロッパ学生オールスターゲーム スコットランド代表
コーチ歴
脚注
- ^ “Jim Colborn Stats, Fantasy & News” (英語). MLB.com. 2020年10月13日閲覧。
- ^ “Dodger great Maury Wills featured guest at JCBL opening ceremonies”. サンタ・ポーラ・タイムズ (2009年7月1日). 2015年9月27日閲覧。
- ^ a b c Kimberly Rivers (2000年12月8日). “James William Colborn, Class of 1963”. サンタ・ポーラ・タイムズ. 2015年9月27日閲覧。
- ^ a b c Jeffrey Wayne Maulhardt (2007). Baseball in Ventura County. Arcadia Publishing. pp. 73、93. ISBN 9780738547398
- ^ Peggy Kelly (2000年12月1日). “Santa Paula native Jim Colborn joins Dodgers as pitching coach”. サンタ・ポーラ・タイムズ. 2015年9月27日閲覧。
- ^ “Jim Colborn”. BaseballLibrary.com (2006年). 2015年9月26日閲覧。
- ^ Doug Feldmann (2006). Miracle Collapse: The 1969 Chicago Cubs. ネブラスカ大学出版会. p. 167. ISBN 9780803220263
- ^ a b c d e f “Jim Colborn Statistics and History”. Sports Reference. 2015年9月26日閲覧。
- ^ “Jim Colborn Minor & Winter Leagues Statistics & History”. Sports Reference. 2015年9月26日閲覧。
- ^ “July 13, 1969 Philadelphia Phillies at Chicago Cubs Box Score and Play by Play”. Sports Reference. 2015年9月26日閲覧。
- ^ “August 14, 1970 Los Angeles Dodgers at Chicago Cubs Play by Play and Box Score”. Sports Reference. 2015年9月26日閲覧。
- ^ “1973 All-Star Game”. Baseball Almanac. 2015年9月26日閲覧。
- ^ “Brewers Timeline”. ミルウォーキー・ブルワーズ. 2015年9月27日閲覧。
- ^ a b “Jim Colborn Stats”. Baseball-Almanac. 2015年9月27日閲覧。
- ^ a b c d e f “Jim Colborn - BR Bullpen”. Sports Reference. 2015年9月27日閲覧。
- ^ Jeanmarie Murphy (1985年3月28日). “AN ODD TRIO IS . . . : BUYING THE FARM : Two Former Major League Ballplayers and a Mortician Hope to Give Ventura County a Minor League Franchise”. ロサンゼルス・タイムズ. 2015年9月27日閲覧。
- ^ “Jcbl”. Jim Colborn Baseball League. 2015年9月27日閲覧。
- ^ “野球関係者からのコメント”. 今任靖之. 2015年9月27日閲覧。
- ^ “For Love of the Game (1999) - Full Cast & Crew”. インターネット・ムービー・データベース. 2015年9月27日閲覧。
- ^ 2004 日米野球 MLBオールスターチーム[1]
- ^ “Rangers name Jim Colborn club's director of Pacific Rim operations”. テキサス・レンジャース (2007年12月18日). 2015年9月27日閲覧。
- ^ Team Australia squad announced for Honkbal Baseball Australia Southern Thunder (英語) (2016年6月6日) 2016年7月17日閲覧