ジョアン・バチスタ・ダ・シウバ
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名前 | ||||||
本名 |
ジョアン・バチスタ・ダ・シウバ João Batista da Silva | |||||
ラテン文字 | Batista | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1955年3月8日(68歳) | |||||
出身地 | ポルト・アレグレ | |||||
身長 | 178cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1973-1981 | インテルナシオナル | |||||
1981-1983 | グレミオ | |||||
1983 | パルメイラス | |||||
1983-1985 | ラツィオ | |||||
1985-1986 | アヴェッリーノ | |||||
1987-1988 | ベレネンセス | |||||
1988-1990 | アヴァイ | |||||
代表歴 | ||||||
1978-1983 | ブラジル [1] | 38 | (0) | |||
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バチスタ (Batista) ことジョアン・バチスタ・ダ・シウバ(João Batista da Silva、1955年3月8日 - )は、ブラジル出身の元同国代表サッカー選手。 ハードタックルによるボール奪取とパスセンスに長けた典型的なボランチで、パウロ・ロベルト・ファルカンらと共にSCインテルナシオナルの黄金期を支えた。 ブラジル代表で38試合に出場し、1982 FIFAワールドカップにも出場した。
経歴
SCインテルナシオナルのユース出身。1973シーズンから1部に在籍し、パウロ・ロベルト・ファルカン、マウロ・ガウボンらと共にクラブの黄金期を支え、1975年と1976年のセリエA連覇、1979年のセリエA無敗優勝などを達成した。その後グレミオFBPA、SEパルメイラスを経て、1983年からイタリアのSSラツィオに移籍、ヨーロッパでも一定の評価を得た。その後USアヴェッリーノに1年間在籍したものの、あまり活躍できず、1年間無所属となる。1987年からポルトガルのCFベレネンセスに移籍したが、シーズンを通して戦うだけの体力はなく、わずか8試合の出場にとどまった。1988年に母国復帰し、1990年に引退した。
代表歴
キャリアを通じて38試合に出場した。これはエジムンドの37試合よりも多い数字である。1982 FIFAワールドカップでは黄金のカルテットの影に隠れたが、それでも2試合に出場した。