ジョージ・ハワード (第7代カーライル伯爵)
第7代カーライル伯爵 ジョージ・ハワード George Howard 7th Earl of Carlisle | |
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1860年代初頭のカーライル伯 | |
生年月日 | 1802年4月18日 |
出生地 | イギリス イングランド・ロンドン・ヒル・ストリート |
没年月日 | 1864年12月5日(62歳没) |
死没地 | イギリス イングランド・ヨークシャー・ハワード城 |
出身校 | オックスフォード大学クライスト・チャーチ |
所属政党 | ホイッグ党→自由党 |
称号 | 第7代カーライル伯爵・ガーター勲章 |
内閣 | 第一次ラッセル内閣 |
在任期間 | 1850年3月6日 - 1852年2月21日 |
内閣 |
第一次パーマストン子爵内閣 第二次パーマストン子爵内閣 |
在任期間 |
1855年3月7日 - 1858年3月8日 1859年6月24日 - 1864年11月1日 |
庶民院議員 | |
選挙区 |
モーペス選挙区 ヨークシャー選挙区 ヨークシャー西リディング選挙区 ヨークシャー西リディング選挙区[1] |
在任期間 |
1826年6月12日 - 1830年8月3日 1830年8月5日 - 1832年12月10日 1832年12月10日 - 1841年6月29日 1846年2月4日 - 1848年10月7日[1] |
貴族院議員 | |
在任期間 | 1848年10月7日 - 1864年12月5日 |
第7代カーライル伯爵ジョージ・ウィリアム・フレデリック・ハワード(英語: George William Frederick Howard, 7th Earl of Carlisle, KG, PC、1802年4月18日 - 1864年12月5日)は、イギリスの政治家、貴族。
ヴィクトリア朝前期のホイッグ党・自由党政権で閣僚職を歴任した。
1825年から1848年まではモーペス子爵の儀礼称号で称された。
経歴
1802年4月18日、後に第6代カーライル伯爵となるモーペス子爵ジョージ・ハワードとその妻ジョージアナ(第5代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュの娘)の間の長男としてロンドン・ヒル・ストリートに生まれる[2][3][4]。
イートン校を経てオックスフォード大学クライスト・チャーチで学ぶ[3]。
大学在学中の1826年にモーペス選挙区から選出されてホイッグ党所属の庶民院議員となる。1830年までこの選挙区から選出され、ついで1830年から1832年までヨークシャー選挙区、1832年から1841年までと1846年から1848年にかけてはヨークシャー西リディング選挙区から選出された[3][4]。
1848年10月7日の父の死で第7代カーライル伯爵位以下4つの爵位を継承し[3][4]、貴族院議員に転じた[1]。
ホイッグ党・自由党政権で閣僚職を歴任し、1835年から1841年にかけてアイルランド担当大臣(第二次メルバーン子爵内閣)、1846年から1850年にかけて森林庁長官(第一次ラッセル内閣)、1850年から1852年にかけてランカスター公領大臣(同)、1855年から1858年までと1859年から1864年までアイルランド総督(第一次・第二次パーマストン子爵内閣)を務めた[1][4][3]。
1835年にはイギリスとアイルランドの両方で枢密顧問官(PC)となる[3]。
1864年12月5日にヨークシャーの居城ハワード城で死去。生涯結婚しなかったので子供はなかった[3]。爵位は甥のウィリアム・ジョージ・ハワードが継承した[4]。
栄典
爵位
1848年10月7日の父の死により以下の爵位を継承した[4][3]。
- 第7代カーライル伯爵 (7th Earl of Carlisle)
- モーペスの第7代ハワード子爵 (7th Viscount Howard of Morpeth)
- (1661年4月30日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
- ギルスランドの第7代デイカー男爵 (7th Baron Dacre of Gillesland)
- (1661年4月30日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
勲章
- 1855年2月7日、ガーター騎士団(勲章)ナイト(KG)[3]
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d UK Parliament. “Viscount Morpeth” (英語). HANSARD 1803–2005. 2015年12月1日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “George Howard, 6th Earl of Carlisle” (英語). thepeerage.com. 2015年12月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i Lundy, Darryl. “George William Frederick Howard, 7th Earl of Carlisle” (英語). thepeerage.com. 2015年12月1日閲覧。
- ^ a b c d e f Heraldic Media Limited. “Carlisle, Earl of (E, 1661)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年12月1日閲覧。
外部リンク
- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by the Earl of Carlisle
- Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900. .
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 ウィリアム・オード ウィリアム・ハワード |
モーペス選挙区選出庶民院議員 1826年–1830年 同職:ウィリアム・オード |
次代 ウィリアム・オード ウィリアム・ハワード |
先代 ミルトン子爵 ウィリアム・ダンクーム リチャード・フォンテイン=ウィルソン ジョン・マーシャル |
ヨークシャー選挙区選出庶民院議員 1830年–1832年 同一選挙区同時当選者 ウィリアム・ダンクーム 1830–1831 ヘンリー・ブロアム 1830 リチャード・ベサル 1830–1831 第2代準男爵サー・ジョンヴェンデン=ビンディ=ジョンストン 1830–1832 ジョージ・ストリックランド 1831–1832 ジョン・チャールズ・ラムズデン 1831–1832 |
廃止 |
新設 | ヨークシャー西リディング選挙区選出庶民院議員 1832年–1841年 同一選挙区同時当選者 第7代準男爵サー・ジョージ・ストリックランド |
次代 ジョン・ステュアート=ワートリー=マッケンジー エドムンド・ベケット・デニソン |
先代 ジョン・ステュアート=ワートリー=マッケンジー エドムンド・ベケット・デニソン |
ヨークシャー西リディング選挙区選出庶民院議員 1846年 – 1848年 同一選挙区同時当選者 エドムンド・ベケット・デニソン 1846–1847 リチャード・コブデン 1847–1848 |
次代 リチャード・コブデン エドムンド・ベケット・デニソン |
公職 | ||
先代 サー・ヘンリー・ハーディング |
アイルランド担当大臣 1835年–1841年 |
次代 エリオット卿 |
先代 初代カニング伯爵 |
森林庁長官 1846年–1850年 |
次代 シーモア卿 |
先代 初代キャンベル男爵 |
ランカスター公領大臣 1850年–1852年 |
次代 ロバート・クリストファー |
先代 第3代セント・ジャーマンズ伯爵 |
アイルランド総督 1855年–1858年 |
次代 第13代エグリントン伯爵 |
先代 第13代エグリントン伯爵 |
アイルランド総督 1859年–1864年 |
次代 第3代ウッドハウス男爵 |
学職 | ||
先代 第13代エグリントン伯爵 |
アバディーン大学マリスカル・カレッジ学長 1853年–1854年 |
次代 ウィリアム・シャークス |
名誉職 | ||
先代 初代ウェンロック男爵 |
ヨークシャー西リディング知事 1847年–1864年 |
次代 第2代ウェンロック男爵 |
イングランドの爵位 | ||
先代 ジョージ・ハワード |
第7代カーライル伯爵 1848年–1864年 |
次代 ウィリアム・ジョージ・ハワード |