ジロ・デ・イタリア 2011
ジロ・デ・イタリア 2011 (Giro d'Italia 2011) は、ジロ・デ・イタリアの94回目のレース。2011年5月7日から29日まで行われた。
出場チーム
太字はUCIプロチーム
中字はプロフェッショナルコンチネンタルチーム
選手名が斜字の選手は新人賞対象選手(1986年1月1日以降生まれの選手)。
[1]
- 3月7日に23の出場チームが発表された。合計出場選手がUCIの規則である上限の200名を超える207名となるが、UCIは特別にこれを許可している。[2]
- 前年優勝者のイヴァン・バッソは出場しないため、ゼッケンは基本的にチームのABC順になり、ステファノ・ガルゼッリが1番に。ただしイタリア建国150周年記念大会と言うことで、現イタリアロードチャンピオンのジョバンニ・ヴィスコンティがゼッケン150番と普通使われない番号を与えられている。
- 最終順位欄、「DNS」は該当ステージ出走せず、「DNF」は該当ステージ途中棄権、「HD」は該当ステージタイムオーバー。
今大会の概要
プレビュー
コース
- 今年はイタリア統一150周年を記念し、グランデパールを当時の首都トリノが務めることとなった。そこから反時計回りでイタリアを1周。そしてゴール地は2008年以来3年ぶりの現首都ミラノとなった。同時に初日のチームタイムトライアルも2009年以来2年ぶりに設定された。
- 第5ステージに昨年に引き続きストラーデ・ビアンケ(白い道)こと未舗装山岳、クローチェ・ディ・フィギーネが登場。今大会では第14ステージのジロ初登場となるモンテ・クロスティスの下りが一部未舗装、翌第15ステージのゴール地ヴァル・ディ・ファッサもゴール前数百mが未舗装、第20ステージに頂上手前の7.9kmが未舗装の2005年以来2度目の登場となるフィネストレ峠が登場するなど、多数の未舗装区間が設定された。
- 最初の頂上ゴールは第7ステージのモンテヴェルジネ・ディ・メルコリアーノ。続いて第9ステージのエトナ火山。今でも活火山として時折噴火する[6]この山を1631mまで上り、いったん駆け下りてから1904mまで駆け上がるというハードなレイアウト。一番低いところからの獲得標高は1770m、登坂距離は36.7kmと総合争いを一気に絞り込む1日となった。
- 休息日と比較的難易度の低い3ステージを挟み、第13ステージからは頂上ゴール3連戦を含め最終日までに頂上ゴールが6つ登場する。第13ステージはオーストリアのグロースグロックナー、第14ステージは昨年も登場した地獄の釜として知られるモンテ・ゾンコランがゴール。第15ステージではチマ・コッピとなるジャウ峠を通過後2000m級の山をもう一つ越えガルデッチャ/ヴァル・ディ・ファッサにゴールする獲得標高差6300mを超える極めて過酷なステージ。
- 休息日明けの第16ステージはネヴェガル山への山岳個人TT。最大傾斜14%、距離12.67kmと昨年登場したプラン・デ・コローネスよりは難易度は低いが、総合戦線を大きく左右する1日となった。第17・18ステージはドロミテ山塊からアルプス山岳への移動ステージだが、2日とも峠を越えるハードな日程。
- 第19・第20ステージは最後の頂上ゴール2連戦。第19ステージのマクニャーガはカテゴリー3級と難易度は低いが登坂距離は30km近い。翌第20ステージは前述のフィネストレ峠の後、セストリエーレにゴールする。
- 最終日は4年連続となる個人TT。距離が31.5km(後に26kmに短縮)と、比較的長めとなっていた。
- また、今大会において平坦ステージは僅かに5つしか存在せず、その平坦ステージにおいてもゴール前が癖のあるプロフィールとなっているステージが多かった。
主な顔ぶれ
レース概要
- 第3ステージでは最後の4級山岳で飛び出したアンヘル・ビシオソ(アンドローニ・ジョカトーリ)が小集団スプリントを制した。デヴィッド・ミラー(ガーミン・サーヴェロ)がマリア・ローザを獲得したが、3級山岳ボッコ峠の下りでワウテル・ウェイラント(レオパルド・トレック)が落車で落命。この為、この日の表彰式は全てキャンセルされた。翌第4ステージは追悼走行となり、最後はレオパルド・トレックとウェイラントとの親交が深かったタイラー・ファーラー(ガーミン・サーヴェロ)が横一線でゴールラインを越えた。その後レオパルド・トレックとファーラーは大会を去っている。
- 第5ステージからレースが再開。未舗装路で落車やトラブルが続発する中で絶好の飛び出しを見せたピーター・ウェーニング(ラボバンク)がステージ優勝、さらにマリア・ローザも獲得した。第6ステージは上りスプリントでフランシスコ・ベントソ(モビスター)が勝利。
- 最初の頂上ゴールとなった第7ステージは残り7kmで飛び出したバルト・デ・クレルク(オメガファーマ・ロット)が集団の猛追を半車身差で凌いでのステージ優勝。有力選手では大きく遅れる選手は無し。第8ステージでは最後の急坂で飛び出したオスカル・ガット(ファルネーゼ・ヴィーニ - ネーリ・ソットーリ)が勝利。同じ急坂で奇襲を見せたアルベルト・コンタドール(チーム・サクソバンク - サンガード)はライバルから17秒を稼ぎ出した。前半最大の勝負所となるエトナ火山ゴールの第9ステージは、そのコンタドールがホセ・ルハノ(アンドローニ・ジョカトーリ)との一騎討ちを制し、マリア・ローザも手中に収めた。
- 第10ステージは久々の大集団スプリントとなりカヴェンディッシュが第2ステージのリベンジを達成。第11ステージはラスト500mを切って爆発的な飛び出しを見せたジョン・ガドレ(AG2R・ラ・モンディアル)が自身初のグランツールステージ優勝。第12ステージは、カヴェンディッシュが貫禄のスプリントで2勝目。平坦ステージはここで終りを告げ、カヴェンディッシュやペタッキ等有力スプリンターは翌第13ステージに出走しなかった。
- 本格的なマリア・ローザ争いの始まりを告げる第13ステージは、またもコンタドールとルハノの一騎討ちとなったが、今度はコンタドールがルハノにステージ優勝を譲っている。モンテ・ゾンコランがゴールの続く第14ステージは、レース前日から当日にかけてコースが2度変更されるという混乱の中、イゴル・アントン(エウスカルテル・エウスカディ)がステージ優勝。獲得標高差が6300mを超える第15ステージはミケル・ニエベ(エウスカルテル・エウスカディ)が制し、チーム2連勝。この時点でコンタドールと2位以下の差は4分を超え、コンタドールに大きなミスが無い限り逆転は困難な情勢に。そのコンタドールは休息日明けの第16ステージ・山岳個人TTも制して、2位以下とのタイム差をさらに拡大した。
- 第19・第20ステージは最後の頂上ゴール2連戦となったが、総合争いは大きくは動かず。パオロ・ティラロンゴ(アスタナ・チーム)とヴァシル・キリエンカ(チーム・モビスター)がそれぞれステージ優勝を挙げた。
レビュー
- 2008年以来2度目の出場となったアルベルト・コンタドール(チーム・サクソバンク - サンガード)が2度目のマリア・ローザ獲得を果たしたかに見えたが、2012年2月6日、スポーツ仲裁裁判所(CAS)により2011年1月25日から2012年8月4日までの出場停止処分を受け、この大会は「出場停止期間」となるため、総合成績をはじめとする全ての順位を剥奪され、このジロのマリア・ローザも没収された。2010年ツールでのドーピング疑惑が未だ解決していなかっただけに、裁定如何では今回のタイトルにも何らかの影響を与える可能性があった。コンタドールは第9ステージでマリア・ローザも奪取、第16ステージの山岳個人TTを制するなど、総合2位ミケーレ・スカルポーニ(ランプレ・ISD)に6分10秒の大差を付ける圧勝だったが、これらもすべて「偽りの成績」として扱われることとなった。
- スカルポーニは昨年の総合4位を上回り、自身初の表彰台。後に繰り上げにより総合優勝となった。ヴィンチェンツォ・ニバリ(リクイガス・キャノンデール)は総合2位で2年連続の表彰台となった。
- ジョン・ガドレ(AG2R・ラ・モンディアル)がステージ1勝・総合3位と健闘。フランス人選手がグランツールで総合5位以内に入るのは2000年ツールでのクリストフ・モロー(当時フェスティナ)の総合4位以来となる。チームメイトのユベール・デュポンも総合12位に入っている。
- 2005年に総合3位で表彰台に上がっているホセ・ルハノ(アンドローニ・ジョカトーリ)が総合6位、第13ステージでコンタドールとの一騎討ちを制するなど、久々に元気な姿を見せた。
- 戦前からスプリンターの活躍できるステージは少ないと予想されていたが、結局大集団でのゴールスプリントとなったステージは第2、10、12の僅か3ステージにとどまった。第2ステージではアレサンドロ・ペタッキ(ランプレ・ISD)がマーク・カヴェンディッシュ(チーム・HTC - ハイロード)の背後から飛び出すという2009年の同ステージと似た構図でペタッキが勝利したが、第10ステージでは逆にペタッキの背後からカヴェンディッシュが飛び出してリベンジ達成。第12ステージでは磐石のトレインからカヴェンディッシュが圧勝した。この他第6ステージは中集団でのスプリント勝負をフランシスコ・ベントソ(チーム・モビスター)が制している。結局ペタッキ、カヴェンディッシュ等多くのスプリンターは最後の平坦ステージとなった第12ステージでリタイアしている。
- 結局マリア・ロッソ・パッショーネも繰り上げによりスカルポーニが獲得した。トップ10を見てもスプリンターと言える選手は9位のロベルト・フェッラーリ(アンドローニ・ジョカトーリ)くらいで、3年連続でスプリンターではない選手がジャージを獲得することとなった。尚、ポイント賞と総合優勝のダブル獲得は2009年のメンショフ以来となる[9]。
- マリア・ヴェルデはステファノ・ガルゼッリ(アクア & サポーネ)が2回目の獲得。チマ・コッピを通過する第15ステージで大量にポイントを稼ぎ、コンタドールの3賞独占を9ポイント差で阻止した。
- イタリア統一150周年記念大会ということもあり、150番という特別なゼッケンを着用して大会に臨んだ現イタリアロードチャンピオンのジョヴァンニ・ヴィスコンティ(ファルネーゼ・ヴィーニ - ネーリ・ソットーリ)は膝の故障に苦しみ、第17ステージで1位入線も降着[10]となるなど、大会を通じて良い結果を残すことが出来なかった。
- ジロ初出場となった別府史之(チーム・レディオシャック)は、第10ステージで逃げに乗って見せ場を作り、総合66位で完走。新城幸也に続くジロ・ツールの完走達成者となった。
- 前述の通りワウテル・ウェイラント(レオパルド・トレック)が第3ステージ・ボッコ峠の下りで落車して顔面を強打、心肺蘇生措置の甲斐なく死去した。グランツールでの死亡事故は1995年ツールでのファビオ・カサルテッリの事故以来となる。この為第4ステージは前述の通り追悼走行に、レオパルド・トレック及びウェイラントと親交の深かったタイラー・ファーラー(ガーミン・サーヴェロ)が大会から撤退するという結果となった。その後、ウェイラントの着用していたゼッケン108番が永久欠番となることが発表された[11]。この他にも第5ステージではトム・スラフター(ラボバンク)が顔面を強打し下顎骨折、第19ステージではクレイグ・ルイス(チーム・HTC - ハイロード)が大腿骨骨折の重傷を負うなど大きな事故の目立った大会となった。又、大会とは直接関係はないものの昨年のジロに出場していたシャビエル・トンド(チーム・モビスター)が第2休息日に不慮の事故で急逝、この為第16ステージ開始前に1分間の黙祷が捧げられている。
- 昨年以上に難易度の高いコース設定、レオパルド・トレックの大会撤退、スプリンターの大量リタイアなどもあったが、出場207選手中、完走159選手と昨年に比べ完走選手数・完走率共に上昇する結果となった。尚、総合最下位はヨス・ファン・エムデン(ラボバンク)だった。
日程
結果
総合成績
- マリア・ローザ
ポイント賞
- マリア・ロッサ
山岳賞
- マリア・ヴェルデ
新人賞
- マリア・ビアンカ
チーム時間賞
その他の賞
脚注
関連項目
参考文献
外部リンク
|
---|
1900年代 | |
---|
10年代 | |
---|
20年代 | |
---|
30年代 | |
---|
40年代 | |
---|
50年代 | |
---|
60年代 | |
---|
70年代 | |
---|
80年代 | |
---|
90年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
10年代 | |
---|
20年代 | |
---|