スパンエアー

スパンエアー
IATA
JK
ICAO
JKK
コールサイン
SPANAIR
設立 1988年
運航停止 2012年1月28日[1]
ハブ空港 アドルフォ・スアレス・マドリード=バラハス空港
バルセロナ空港
焦点空港 パルマ・デ・マヨルカ空港
テネリフェ・ノルテ空港
マイレージサービス Spanair Plus
会員ラウンジ Sala VIP
航空連合 なし(スターアライアンス脱退)
親会社 Iniciatives Empresarials Aeronàutiques (IEASA)
保有機材数 54機
就航地 26都市
本拠地 スペインパルマ・デ・マヨルカ
代表者 Mike Szücs (CEO)[3]
外部リンク http://www.spanair.com/
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スパンエアーのエアバスA320型機(新塗装)。

スパンエアー(Spanair S.A.)は、スペインバレアレス諸島マヨルカ島パルマ・デ・マヨルカに本拠地を置いていた航空会社である。スターアライアンスの元メンバー。マドリード首都裁判所より破産宣告と会社清算命令が下され、2012年1月に運航を停止し、会社は消滅した。[1]

概要

スパンエアーの本社ビル

西アフリカへの拡張に加え、スペイン国内、ヨーロッパ内に定期旅客便ネットワークを提供していた。国際的なチャーター便はツアー会社のためにも運航を行っていた。ここの主要な空港はアドルフォ・スアレス・マドリード=バラハス空港 (MAD)、及び バルセロナ・エル・プラット国際空港 (BCN) のハブ空港と共に、パルマ・デ・マヨルカ空港 (PMI) で、2535人のスタッフを抱えていた。

歴史

ボーイング757

スパンエアーは1986年12月に設立され、1988年3月から運航が開始された。スカンジナビア航空(SAS)と Viajes Marsans(es) との合弁会社として設立され、ヨーロッパ地域へのチャーター運航を開始した。

ボーイング767

アメリカ合衆国メキシコ、及びドミニカ共和国への長距離路線の運航は1991年に始まり、1994年3月に国内線定期運航を開始した。1990年代後半にワシントン及びブエノスアイレスへボーイング767-300ER型機を使用した長距離路線の運航を行った。スパンエアーは2003年にスターアライアンスに加盟した。

マイレージプログラムは大株主のスカンジナビア航空の「SASユーロボーナス」に統合されず、独自プログラムである「スパンエアープラス(Spanair Plus)」を運営していた。

スカンジナビア航空グループ(SAS・94.9%)及びMarsansグループ(5.1%)が株主であったが、2008年、スカンジナビア航空はスパンエアーの株式売却を決定し、スペインのフラッグ・キャリアであるイベリア航空が購入する意向を示していたが、実現には至らなかった。 その後、2009年1月31日にスペインの投資コンソーシアム・Iniciatives Empresarials Aeronàutiques(IEASA)が株式の80.1%を取得し、残り19.9%はSASが保持することとなった。[2]

2012年1月27日、スペインの現地時間・午前6時(日本時間・同日午後2時)をもって、全便の運航を停止した[3]。その後、同年1月30日、マドリード首都裁判所より破産宣告と会社清算命令が下され、事実上倒産し、スターアライアンスからも脱退した。なお、スパンエアーの破産の1週間後には、マレーヴ・ハンガリー航空ワンワールド)が運航停止となった。

就航路線

スパンエアーは以下の都市へ就航していた (2005年1月現在):

保有機材

マクドネル・ダグラス MD-82(旧塗装)
ボーイング717-200

スパンエアー・グループの機材は以下の航空機で構成されていた (2008年現在):

事故

2008年8月20日マドリッドグラン・カナリア行きJK5022便(MD-82型機)が離陸に失敗。乗客乗員172名のうち154名が死亡、生還した18名も怪我を負う惨事となった。なお、この事故はスパンエアーにとって最初かつ最後の死亡事故となった。また、事故機はスターアライアンスの塗装が施されていた。

脚注

  1. ^ a b Spanair suspende de forma definitiva sus operaciones” (スペイン語). Preferente (2012年1月27日). 2012年6月17日閲覧。
  2. ^ [1]
  3. ^ [2]

外部リンク