スピーディ (スループ)

1800年3月21日、リヴォルノにて難破した戦列艦クイーン・シャーロットと遭遇したスピーディ
1800年3月21日、リヴォルノにて難破した戦列艦クイーン・シャーロットと遭遇したスピーディ
基本情報
艦歴
進水 1782年6月29日
その後 1801年6月3日フランスに捕獲
要目
排水量 211 トン(MT)
全長 78 ft 3 in (23.9 m)
最大幅 25 ft 9 in (7.8 m)
機関 帆走(2本マストブリッグ
乗員 90名
兵装 4ポンド砲 14門
旋回砲 12門
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HMS スピーディ (HMS Speedy)は1782年に進水したイギリス海軍の14門スループ。船型はブリッグである。

戦歴

スピーディは1794年にフランス海軍のフリゲート セリユーズ(Sérieuse)に鹵獲されたが、1795年にイギリス海軍のフリゲート インコンスタントによって奪還された。1801年以降、有名なトマス・コクランが本艦を指揮した。

コクランはスピーディにおいてその最も有名な戦果、1801年5月6日スペインジーベック エル・ガモの鹵獲を成し遂げた。エル・ガモは、スピーディが14門の砲と54人の乗組員しかいないのに対して、32門の砲と319人の乗組員を持っていた。

1801年7月3日地中海で脚の遅い輸送船を護衛しているとき、スピーディはリノワ提督の指揮する3隻のフランス・フリゲート戦隊の攻撃を受けた。数時間の戦闘の後、コクランは降伏を余儀なくされた。スピーディはフランスによって「サン・ピエール(Saint Pierre)」と名を改められ、その後教皇領海軍に引き渡されて「サン・ピエトロ(San Pietro)」となった。そして1807年に解体されるまで教皇領海軍に留まった。

小説への登場

パトリック・オブライアンの小説『新鋭艦長、戦乱の海へ』のストーリーは、その一部にスピーディの逸話を取り入れている。

参考文献