テオフィル・アメル
テオフィル・アメル Théophile Hamel | |
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![]() 自画像 (c.1849) | |
生誕 |
1817年11月8日 ケベック・シティー |
死没 |
1870年12月23日 (53歳没) ケベック・シティー |
テオフィル=アブラム・アメル(Théophile-Abraham Hamel、1817年11月8日 - 1870年12月23日)は、19世紀、カナダの画家である。おもにケベック州に住み、多くのカナダの人物の肖像画を描いたことで知られている[1]。
略歴
現在はケベック・シティーの一部であるサント=フォワ(Sainte-Foy)で生まれた。1656年にノルマンディーのアヴルメニル(Avremesnil)からヌーベルフランスに入植したジャン・アメル(Jean Hame)を祖先にもつ裕福な農家の息子に生まれた。
1834年から1840年の間、アメルはケベックで活動していた画家のアントワーヌ・プラモンドン(Antoine Plamondon: 1804-1895)の元で学び、肖像画家となり有力な政治家の アマブル・ディオンヌ(Amable Dionne)の肖像画も描くようになった[2]。
1843年6月からヨーロッパに修行にでて、フィレンツェで学び[3][1] 、16世紀の巨匠、ティツィアーノの作品を模写して修行した。1846年に帰国し、ケベックにスタジオを開き、その翌年、モントリオールに移った。1850年代には画家として評価されるようになり、数年後に結婚した。政府から注文を受けるようになり、有力者から注文を受けた。新約聖書を題材に10点ほどの宗教画も残したが、シンプルなスタイルの肖像画家として知られている。同時代の人物だけでなくカナダの歴史上の人物の肖像画も描いた。1862年の火事で多くの作品が失われた。
甥のウジェーヌ・アメル(Eugène Hamel: 1845-1932)[4]やブラッサ(Napoléon Bourassa: 1827-1916)、リュエラン(Ludger Ruelland: 1827-1896)、ジファール(Alexandre Stanislas Giffard : 1841-1880)といったカナダの画家を指導した。
1870年にケベック・シティーで亡くなった。
作品
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ジャック・カルティエ(16世紀探検家)(c.1844)
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サミュエル・ド・シャンプラン(17世紀探検家)
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Joseph Signay(ケベックの大司教) (1847)
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"Portrait of Léocadie Bilodeau" (c.1842)
参考文献
- ^ a b « Théophile Hamel | Dictionnaire biographique du Canada » (consulté le 5 février 2019)
- ^ « Théophile Hamel | Encyclopédie canadienne » (consulté le 4 février 2019)
- ^ Raymond., Vézina, (1975). Théophile Hamel : peintre national, 1817-1870. Éditions Élysée. ISBN 9780885450138. OCLC 2475478. 2019年2月5日閲覧。
- ^ 1925-, Hamel-Beaudoin, Françoise, (2008). Théophile Hamel : peintre, 1817-1870. Lidec. p. 58. ISBN 9782760870994. OCLC 507335398. 2019年2月5日閲覧。