ニコライ・モロゾフ

ニコライ・モロゾフ
Nikolai MOROZOV
フィギュアスケート選手
2008/2009 GPファイナルフリー演技後のキス・アンド・クライで(右は安藤美姫
生誕 (1975-12-17) 1975年12月17日(48歳)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 モスクワ
身長 175cm
選手情報
代表国  ベラルーシ
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
引退 1998年

ニコライ・アレクサンドロヴィチ・モロゾフロシア語:Никола́й Алекса́ндрович Моро́зов, ラテン文字:Nikolai Alexandrovich Morozov1975年12月17日 - )は、ロシア生まれ、アメリカ在住のフィギュアスケートコーチ、振付師。1990年代にはアイスダンスの選手として活躍し、ベラルーシ代表としてタチアナ・ナフカと組んで1998年長野オリンピックに出場した。フィギュアスケーターのカロリヌ・ドゥアラン、アイスダンスの2003年世界チャンピオンでフィギュアスケート振付師のシェイリーン・ボーンはいずれも元妻。3人目の妻となったのはペア・アイスダンス選手であるワシリーサ・ダワンコワ。ワシリーサは、2019年に離婚していることをインタビューで語った。

経歴

16歳までヴィクトール・クドリャフツェフに指導を受けていたシングルの選手だったが、同門のイリヤ・クーリックの前に限界を感じアイスダンスに転向[1]1994年世界選手権アゼルバイジャン代表として出場。1998年にはベラルーシ代表としてタチアナ・ナフカとともに1998年長野オリンピックに出場、16位となった。この年を最後に競技生活から退く。

引退後はタチアナ・タラソワのアシスタントとなり、間もなく振付師としての才能を示し始めた。1999-2000シーズンのバーバラ・フーザル=ポリ & マウリツィオ・マルガリオ組『ロード・オブ・ザ・ダンス』、そして2000-2001シーズン、アレクセイ・ヤグディングラディエーター』で脚光を浴び、翌2001-2002シーズンには『Winter』、『仮面の男』でヤグディンを世界トップに返り咲かせた[2][3]2003年にタラソワと袂を分かち独立。その後、荒川静香トリノオリンピック金メダリストに、安藤美姫を不調から立ち直らせて2007年2011年の世界選手権優勝に、髙橋大輔を2007年世界選手権2位に導くなどの実績を残している。

近年では振付師を中心に活動。

コーチ・振付師としての特徴

ニュージャージー州ハッケンサックにある「アイスハウス」を拠点として指導にあたっている[4]。自身がアイスダンスの選手だったこともあり、ステップに力を入れている[2]。氷の上で動きを実際に行えるのが特長[5]

振付師としては、音楽、要素、動きなど、そのスケーターに一番合うものを選んで構成したいという考えを持っている[6]。作品は選手をよく観察したうえで作られ、選手の欠点を補い長所を目立たせるものと評されている[7]。確実に点を取る構成とドラマチックさ、フェイスラインを撫でる振り付けが特徴とされる[1]

主な作品

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 「フィギュアスケート振付師ファイル」『フィギュアスケートDays vol.8』ダイエックス出版、2009年2月、pp.76-77
  2. ^ a b c d e f g 上坂美穂編『オール・アバウトフィギュアスケート』ぴあ(ぴあワンダーランドSpecial)、2005年11月、p.50
  3. ^ 小坂有紀編『COLORS 2007 フィギュアスケート男子読本』あおば出版、2007年3月、p.90
  4. ^ 『ファンブック2009』p.15。なお、同リンクではロビン・ワグナーやアルトゥール・ドミトリエフも指導にあたっている(『Cutting Edge 2008 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2007年12月、p.81)
  5. ^ モロゾフ・コーチ「高橋の演技歴史に残す」『Yomiuri online』2007年10月30日更新
  6. ^ a b c d e 青嶋ひろの「振付師に聞く 第3回 ニコライ・モロゾフ」『フィギュアスケートDays vol.2』DAI-X出版、2007年3月、pp.100-102
  7. ^ 小坂有紀編『COLORS 2007 フィギュアスケート男子読本』あおば出版、2007年3月、p.90