ノース内閣

ノース内閣(ノースないかく、英語: North ministry)は1770年1月28日から1782年3月27日まで続いた、グレートブリテン王国の内閣。この内閣期では1770年のフォークランド危機、1775年のアメリカ独立戦争勃発、1780年のゴードン暴動英語版といった事件がおきた[1]トーリー党ベッドフォード派英語版グレンヴィル派英語版が与党の立場にあり[2]、1770年から1774年までは連立内閣だった[3]

内閣

役職 肖像 名前 在任 所属政党
第一大蔵卿
財務大臣
ノース卿 1770年1月28日 – 1782年3月27日 トーリー党
大法官 バサースト伯爵 1771年1月23日 – 1778年6月3日 トーリー党
サーロー男爵英語版 1778年6月3日 – 1783年4月7日 トーリー党
枢密院議長 ゴア伯爵 1767年12月22日 – 1779年11月24日 トーリー党
バサースト伯爵 1779年11月24日 – 1782年3月27日 トーリー党
王璽尚書 ハリファックス伯爵 1770年2月26日 – 1771年1月22日 トーリー党
サフォーク伯爵 1771年1月22日 – 1771年6月12日 無所属
グラフトン公爵 1771年6月12日 – 1775年11月4日 ホイッグ党
ダートマス伯爵 1775年11月4日 – 1782年3月27日 無所属
王室家政長官英語版 タルボット伯爵 1761年 – 1782年4月27日 無所属
宮内長官英語版 ハートフォード伯爵 1766年 – 1782年 無所属
南部担当国務大臣 ウェイマス子爵 1768年10月21日 – 1770年12月12日 トーリー党
ロッチフォード伯爵 1770年12月19日 – 1775年11月9日 無所属
ウェイマス子爵 1775年11月9日 – 1779年11月24日 トーリー党
ヒルズバラ伯爵 1779年11月24日 – 1782年3月27日 無所属
北部担当国務大臣 ロッチフォード伯爵 1768年10月21日 – 1770年12月19日 無所属
サンドウィッチ伯爵 1770年12月19日 – 1771年1月12日 ホイッグ党
ハリファックス伯爵 1771年1月22日 – 1771年6月6日 トーリー党
サフォーク伯爵 1771年6月12日 – 1779年3月7日 無所属
ストーモント子爵 1779年10月27日 – 1782年3月27日 無所属
植民地大臣 ヒルズバラ伯爵 1768年2月27日 – 1772年8月27日 無所属
ダートマス伯爵 1772年8月27日 – 1775年11月10日 無所属
ジョージ・ジャーメイン卿 1775年11月10日 – 1782年2月 無所属
ウェルボア・エリス 1782年2月 – 1782年3月 無所属
ランカスター公領大臣 ジェームズ・スミス=スタンリー 1762年12月13日 – 1771年6月14日 無所属
クラレンドン伯爵 1771年6月14日 – 1782年4月17日 ホイッグ党
海軍大臣英語版 サー・エドワード・ホーク 1766年 – 1771年 無所属
サンドウィッチ伯爵 1771年 – 1782年 ホイッグ党
兵站部総監英語版 タウンゼンド子爵 1772年10月 – 1782年3月 無所属
アイルランド総督 タウンゼンド子爵 1767年8月19日 – 1772年10月29日 無所属
ハーコート伯爵 1772年10月29日 – 1776年12月7日 無所属
バッキンガムシャー伯爵 1776年12月7日 – 1780年11月29日 無所属
カーライル伯爵 1780年11月29日 – 1782年4月8日 無所属

出典

参考文献

先代
グラフトン公爵内閣
グレートブリテン王国の内閣
1770年 – 1782年
次代
第2次ロッキンガム侯爵内閣