ビル・カートライト
2011年、母校サンフランシスコ大学で講演するカートライト | |
引退 | |
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ポジション | C |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1957年6月30日(66歳) |
出身地 | カリフォルニア州ローダイ |
身長(現役時) | 216cm (7 ft 1 in) |
体重(現役時) | 111㎏ (24 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | サンフランシスコ大学 |
NBAドラフト | 1979年 / 1巡目 / 全体3位[1] |
ニューヨーク・ニックスから指名 | |
選手経歴 | |
1979-1988 1988-1994 1994-1995 |
ニューヨーク・ニックス シカゴ・ブルズ シアトル・スーパーソニックス |
指導者経歴 | |
1996-2004 2004-2008 2008-2012 2013 |
シカゴ・ブルズ (AC→HC) ニュージャージー・ネッツ (AC) フェニックス・サンズ (AC) 大阪エヴェッサ (bjリーグ) |
受賞歴 | |
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Stats Basketball-Reference.com | |
ビル・カートライトことジェームズ・ウィリアム・カートライト(James William "Bill" Cartwright、1957年6月30日-)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ローダイ出身のNBAで活躍したバスケット選手。ポジションはセンターでシカゴ・ブルズで1991年、1992年、1993年に3連覇を達成した。
キャリア
サンフランシスコ大学在籍。1979年のNBAドラフトで1順目3位で指名でニューヨーク・ニックスに指名を受けて入団して最初の2年間で1試合平均20得点を記録しオールスターにも出場した。しかし、左足を怪我した以降はカートライトは控えの役割となりパトリック・ユーイングの入団以降は出場時間も大きく減少した。1988年6月27日にカートライトは、チャールズ・オークリーとのトレードでシカゴ・ブルズに移籍した。当時のブルズはスター選手のマイケル・ジョーダンと成長著しいスコッティ・ピペンとホーレス・グラントが所属しており、ブルズはサイズのあるセンターを必要としてカートライトを獲得した。彼の加入後、チームは宿敵のデトロイト・ピストンズを倒し1991年に初めて優勝、1992年、1993年も優勝して3連覇を達成した。シュートフォームは、キャッチしてからボールをぐるっと回しながらリリースする独特のもので、決して上手とは言えないが、ジョーダンやピッペンがマークを引きつけてオープンの状態のカートライトからシュートを打たせるのは、貴重な得点パターンになっていた。マイケル・ジョーダンが引退した翌シーズン、1994年のプレーオフではニックスに敗れた。1994年にシアトル・スーパーソニックスと契約したが29ゲーム出場して引退した。
コーチ
引退後はフィル・ジャクソンの元でブルズのアシスタントコーチとなり、2001年からヘッドコーチに昇格した。その後2004年にニュージャージー・ネッツで、2008年にはフェニックス・サンズでそれぞれアシスタントコーチとなった。2013年1月、日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)の大阪エヴェッサヘッドコーチに就任[1]。就任時に10チーム中9位だったチームを10連勝に導き7位に浮上させたが、同シーズン限りで退任した。
脚注
- ^ 2012-2013シーズンヘッドコーチ契約締結について大阪エヴェッサ