ピッツバーグ交響楽団

ピッツバーグ交響楽団
本拠地のハインツ・ホール
基本情報
原語名 Pittsburgh Symphony Orchestra
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ
ジャンル クラシック音楽
活動期間 1895年 -
公式サイト www.pittsburghsymphony.org
メンバー 音楽監督
マンフレート・ホーネック

ピッツバーグ交響楽団(Pittsburgh Symphony Orchestra)は、ペンシルベニア州ピッツバーグを拠点とする、アメリカ合衆国の主要なオーケストラの一つ。

概要

1895年にピッツバーグ芸術協会によって設立され[1]、翌年に最初の演奏会を行なった。初代の首席指揮者はフレデリック・アーチャーであり、合奏力の強化のために、彼によってボストン交響楽団から多くの人材が引き抜かれた。アーチャーが1898年に離任すると、後任指揮者はヴィクター・ハーバートが務めたが、1904年エーミール・パウアと交替した。この時期から、国外の著名な客演指揮者を招くようになり、エドワード・エルガーリヒャルト・シュトラウスもその名を連ねている。しかし、1910年に財政難を理由に解散された[2]

1926年、ピッツバーグ交響楽団は再結成された[2]。それに際して、楽団員は無報酬で事前のリハーサルを行い、翌年の定期演奏会を行なうことができるように、資金を拠出し合った。1937年には短い間ではあったが客演指揮者としてオットー・クレンペラーが参加し、楽団の再建につくした[2]

ピッツバーグ交響楽団を国際的水準のオーケストラに引き上げたのは、1938年から1948年まで音楽監督を務めたフリッツ・ライナーである[2]。オーケストラ・ビルダーとしても知られるライナーは厳しい指導によって楽団を磨き上げるとともに、大量の録音をおこなってピッツバーグ交響楽団の名声を世界的なものとした[3]

また、1952年から24年間音楽監督を務めたウィリアム・スタインバーグの指導力のもと、楽団は芸術的にも財政的にも無比の安定度に到達した[3]。その後、アンドレ・プレヴィンロリン・マゼールマリス・ヤンソンスと続き、2008年からはマンフレート・ホーネックが音楽監督を務める[2]

長らくオークランド地区(カーネギーメロン大学ピッツバーグ大学などがある学園地区)のシリア・モスク(Syria Mosque)と呼ばれたビルを本拠地としていたが、1971年9月からはダウンタウンのロウズ・ペン・シアター(Loew's Penn Theater)を、ハインツ社のH.J.ハインツ2世(H.J. Heinz II)の資金によって改修後ハインツ・ホール(Heinz Hall)と改称された所を本拠地としている[4]

2004年に、アメリカ合衆国のオーケストラとしては初めて、ローマ教皇に御前演奏を行なった[5]。おそらくヨハネ=パウロ2世が最後に耳にした、国際的水準のオーケストラだったかもしれない。マーラーの《交響曲 第2番「復活」》を中心とするプログラムで、ヨハネ=パウロ2世は個人的にアンコールを所望したという。

歴代音楽監督・首席指揮者等

脚注

出典

  1. ^ 音楽の友 & レコード芸術 2020, p. 169, 「ピッツバーグ交響楽団」.
  2. ^ a b c d e 音楽之友社 2009, p. 53, 「ピッツバーグ交響楽団」.
  3. ^ a b 世界のオーケストラ(1) ~北米・中米・南米編~ 2015, p. 67-73「8.ピッツバーグ交響楽団」.
  4. ^ Heinz Hall History” (英語). Pittsburgh Symphony Orchestra. 2024年12月15日閲覧。
  5. ^ Pope hosts concert of reconciliation” (英語). UPI. 2024年12月15日閲覧。
  6. ^ PSO Conductors” (英語). Pittsburgh Symphony Orchestra. 2024年12月15日閲覧。
  7. ^ ピッツバーグ発 〓 マンフレート・ホーネックがピッツバーグ響との契約を延長”. 月刊音楽祭. 楽壇ニュース. 2024年12月15日閲覧。

参考文献

外部リンク