プサムティス
プサムティス Psammuthes | |
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プサムティスの名が刻まれたレリーフ、メトロポリタン美術館蔵 | |
古代エジプト ファラオ | |
統治期間 | 紀元前393年(異説あり),第29王朝 |
前王 | ネフアアルド1世(ネペリテス1世) |
次王 | ハコル |
ファラオ名 (五重称号)
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死去 | 紀元前393年(異説あり) |
プサムティス (Psammuthes) は、エジプト末期王朝のひとつ第29王朝のファラオで、紀元前393年(紀元前393年から紀元前392年にかけて、あるいは紀元前392年から紀元前391年にかけてとする説もある)の短期間だけ、その地位にあった。
ネフアアルド1世(ギリシア語名:ネペリテス1世)の死後、後継をめぐってふたつの派閥が対立し、一方は先王ネフアアルドの息子ムティス (Muthis) を支持し、もう一方は王権簒奪を狙うプサムティスを支持した[1]。しかし、両者は結局、無関係な人物であったハコルに倒された[2]。
プサムティスの統治は1年だけであった。プサムティスが、(当時の首都であったナイル川上流の)メンデスで実権を握っていたことを証明するような、その名が刻まれたものや記念物はほとんど残っていないが、デルタの上エジプトに位置するテーベでは、カルナックの聖なる湖の南側にカルトゥーシュが確認できる記念碑がある。
脚注
関連項目
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