ヨーゼフ・クレメンス・フォン・バイエルン (1902-1990)

16歳頃のヨーゼフ・クレメンスと飼い犬、1918年

ヨーゼフ・クレメンス・フォン・バイエルンJoseph Clemens Prinz von Bayern, 1902年5月25日 ミュンヘン - 1990年1月8日 ミュンヘン)は、南独バイエルン王国の王族・美術史家。バイエルン王子。

バイエルン王子アルフォンスと妻ルイーズ・ドルレアンの間の第1子・長男。母方もバイエルン公家につながる。正式な洗礼名はヨーゼフ・クレメンス・マリア・フェルディナント・ルートヴィヒ・アントン・アウグスティン・アルフォンス・アルタ・フランツ・フォン・サレス・フィリップ・ネーリウス(Joseph Clemens Maria Ferdinand Ludwig Anton Augustin Alphons Alta Franz von Sales Philipp Nerius)。バイエルン王室の聖ゲオルク騎士団英語版の名誉副団長を務めた[1]ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘンで美術史を専攻し、美術史家として活動すると同時に、歴史的文化財の重要なコレクションを収集した[2]。死後、ミュンヘン・聖ミヒャエル教会英語版内の納骨堂に葬られた[3]

参考文献

引用・脚注

  1. ^ Gothaischer Hofkalender. Genealogisches Taschenbuch der Fürstlichen Häuser, Gotha 1929, S. 9.
  2. ^ Münchner Stadtmuseum: Joseph Clemens von Bayern (Abgerufen am 14. Juli 2024.)
  3. ^ "Das Kolumbarium in St. Michael". Wittelsbacher Ausgleichsfonds (ドイツ語). 15 November 2024. 2024年12月30日閲覧

外部リンク

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