ラングル

Langres

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) グラン・テスト地域圏
(département) オート=マルヌ県
(arrondissement) ラングル郡
小郡 (canton) 郡都
INSEEコード 52269
郵便番号 52200
市長任期 ディディエ・ロワゾー
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes de l'Étoile de Langres
人口動態
人口 8 761人
2006年
人口密度 392人/km2
地理
座標 北緯47度51分48秒 東経5度20分02秒 / 北緯47.8633333333度 東経5.33388888889度 / 47.8633333333; 5.33388888889座標: 北緯47度51分48秒 東経5度20分02秒 / 北緯47.8633333333度 東経5.33388888889度 / 47.8633333333; 5.33388888889
標高 平均:? m
最低:327 m
最高:475 m
面積 22.33km2
Langresの位置(フランス内)
Langres
Langres
公式サイト www.langres.fr
テンプレートを表示

ラングルLangres)は、フランスグラン・テスト地域圏オート=マルヌ県コミューン。ガロ=ローマ時代より継続的に使われてきた要塞の町である。城壁内に町があることから別名『北のカルカッソンヌ』(Le Carcassonne du Nord)と呼ばれる。

地理

ラングル高原に位置する。高原はパリ盆地へ流れていくマルヌ川の水源が近く、ソーヌ川谷を持つ。

歴史

ラングルの古い地図

ガリア最古のケルト人の一部族、リンゴン族は重要である。彼らはローマと同盟を結び、ガイウス・ユリウス・カエサルのガリア征服後もこの地にとどまった。ラングルはこのリンゴン族の首都であり、Andemantunnumと呼ばれた。

外からの侵略の恐れが少なくなった中世、ラングルは司教座の権力を背景に繁栄した。ラングル司教はブルゴーニュ、シャンパーニュ、フランシュ=コンテにまで影響を及ぼす存在であった。カール大帝時代、幾人かのラングル司教は皇帝特使を務めた。9世紀に司教は独自に硬貨を鋳造する権利を得た。927年には、都市の軍事総督の任命権をも獲得していた。ラングル司教領は12世紀に公爵位を授けられ、司教たちはフランス貴族となった。

14世紀、15世紀の困難な時代にラングルの町の防衛が強化された。次第にラングルはフランス王の後見下に入った。

中世ラングルの重要な機能は司教座であり、リールリヨン間の貿易であった。特に産業は都市の中と城外で発展した。しかしラングルは華やかな経済繁栄を経験したことがなく、人口はピーク時でも9000人程度であった。最も近い位置にある競争相手であったショーモンは、地理的には県の中央から遠いがオート=マルヌの県都となり、人口もラングルを追い抜いた。

ルネサンス期にラングルは再び輝きを取り戻した。現在も残る優れた教会建築、軍事設備、コミューン施設はこの時代に建てられている。シャルル9世は、宮廷ごと国内を巡幸した1564年から1566年の間、ラングルにも立ち寄っている。同行したのは王弟アンジュー公(のちのアンリ3世)、ブルボン枢機卿、そしてロレーヌ枢機卿であった。

19世紀、ヴォーバンが設計したラングルのシタデルが拡張され強化された。普仏戦争中の1870年にはプロイセン軍を回避させている。

1887年、国内初のラック式鉄道がラングルで開通した。

出身者

みどころ

  • サン・マンメス聖堂 - 12世紀。ロマネスク様式とゴシック様式の混合。ラングル司教座がある。
  • ナヴァール・エ・ドルヴァル塔 - フランソワ1世が命じて建設。

特産品

ラングル・チーズ

ラングル・チーズはAOC認定(1991年5月)のウォッシュチーズ[1]。円筒状で、上部がくぼんでいるのが特長[2]。外は白カビが生えている。中心部はやわらかい。洗って熟成が進むと明るい黄色から赤茶色の表皮となる[1]。重量は大きなもので800g以上、小さなものは150g以上[1]

姉妹都市

脚注

  1. ^ a b c 本間るみ子; 増井和子; 山田友子 著、文藝春秋 編『チーズ図鑑』 182巻(7版)、株式会社文藝春秋〈文春新書〉、2009年、97頁。ISBN 4-16-660182-2 
  2. ^ 本間るみ子 著、主婦の友社 編『チーズの選び方 楽しみ方』株式会社主婦の友社、2012年、54頁。ISBN 978-4-07-285215-6