リカルド・ジャコーニ
Riccardo Giacconi リカルド・ジャコーニ | |
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リカルド・ジャコーニ(2003) | |
生誕 |
1931年10月6日 イタリア ジェノバ |
死没 |
2018年12月9日(87歳没) アメリカ合衆国 サンディエゴ |
国籍 | アメリカ合衆国 |
研究分野 | 天体物理学 |
研究機関 | ジョンズ・ホプキンズ大学 |
出身校 | ミラノ大学 |
主な受賞歴 |
王立天文学会ゴールドメダル(1982) ウルフ賞物理学部門(1986) ノーベル物理学賞(2002) |
プロジェクト:人物伝 |
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リカルド・ジャコーニ(Ricardo Giacconi、1931年10月6日 - 2018年12月9日[1][2][3])は、アメリカ合衆国で活躍した宇宙物理学者である。X線天文学のパイオニアの一人である。2002年、X線天体の発見の功績によりノーベル物理学賞を受賞した[4]。
経歴
イタリアのジェノヴァに生まれたが、幼い頃にミラノに移った。ミラノ大学で学び、ミラノ大学、インディアナ大学、プリンストン大学を経て、1973年からハーバード大学教授、1982年からジョンズ・ホプキンス大学教授を務めた。1959年にブルーノ・ロッシが顧問を務め、国防省やNASAからの仕事を委託するAS&E社(American Science & engineering, Inc)に務めた。1962年6月18日にロケットを使った観測で初めて太陽系外のX線天体の発見に成功した。1970年代からX線観測衛星の運用に貢献し、いくつかの宇宙X線天文台(NASA)の主任研究員を務めた。
天文学分野におけるX線の利用の課題は、X線の屈折率が小さいため、可視光や赤外線と同様の望遠鏡を作るのが困難な点にあった。ジャコーニらは放物線鏡でX線を全反射させることでX線を集光させ、X線源の同定が可能なX線望遠鏡を開発した。これによってX線天文学の発展に大きく貢献した。
2018年12月9日、生涯を終えた。87歳没。
受賞歴
- 1966年 - ヘレン・B・ワーナー賞
- 1975年 - リヒトマイヤー記念賞
- 1980年 - エリオット・クレッソン・メダル
- 1981年 - ブルース・メダル[5]
- 1981年 - 米国天文学会 ヘンリー・ノリス・ラッセル講師職
- 1981年 - ハイネマン賞天体物理学部門
- 1982年 - 王立天文学会ゴールドメダル
- 1986年 - ウルフ賞物理学部門
- 2000年 - マルセル・グロスマン賞
- 2002年 - ノーベル物理学賞
- 2003年 - アメリカ国家科学賞
エポニム
- 小惑星(3371) Giacconi [6]
参考資料
脚注
- ^ Overbye, Dennis (2018年12月13日). “Riccardo Giacconi, 87, Explorer of the Universe Through X-Rays, Dies”. The New York Times
- ^ È morto il fisico Riccardo Giacconi, Nobel nel 2002, padre dell'Astronomia a raggi X (イタリア語)
- ^ “Nobel Prize-winning astrophysicist Riccardo Giacconi dies at 87” (2018年12月12日). 2021年3月4日閲覧。
- ^ The Nobel Prize in Physics 2002
- ^ Bruce Medal page
- ^ “(3371) Giacconi = 1955 RZ = 1955 TP = 1975 BK1”. MPC. 2021年8月13日閲覧。