ヴィソコ
ヴィソコ Visoko Високо | |||
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ヴィソチツァ丘からヴィソコ市街を望む | |||
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位置 | |||
ボスニア・ヘルツェゴビナでのヴィソコの位置 | |||
座標 : 北緯43度59分 東経18度10分 / 北緯43.983度 東経18.167度 | |||
行政 | |||
国 | ボスニア・ヘルツェゴビナ | ||
構成体 | ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦 | ||
県 | ゼニツァ=ドボイ県 | ||
基礎自治体 | ヴィソコ | ||
地理 | |||
面積 | |||
基礎自治体域 | 232 km2 | ||
人口 | |||
人口 | (現在) | ||
基礎自治体域 | 46,130人 | ||
その他 | |||
等時帯 | CET (UTC+1) | ||
夏時間 | CEST (UTC+2) |
ヴィソコ(ボスニア語およびクロアチア語:Visoko、セルビア語:Високо)はボスニア・ヘルツェゴビナの中央、フォイニチカ川(Fojnička)とボスナ川(Bosna)の合流地点に位置する町である。人口は約17,000人。首都サラエヴォとゼニツァを結ぶ幹線上に位置している。ボスニア・ヘルツェゴビナの構成体であるボスニア・ヘルツェゴビナ連邦のゼニツァ=ドボイ県に属する基礎自治体である。
人口動態
1991年の国勢調査によると、ヴィソコ自治体の人口は46,130人だった(ボシュニャク人74.54%、セルビア人15.99%、クロアチア人4.28%、ユーゴスラビア人3.16%、その他2.04%)。うち、ヴィソコ市街には15310人の住民がいたが、2006年現在の人口は約17,000人と見積もられている。
地理
232km2の面積を有するヴィソコ市は、オズレン(Ozren)やヴラニツァ・ズヴィイェズダ(Vranica and Zvijezda)を含むボスニア中央山脈丘陵地帯(標高400から1,050m)に位置し地形学的に特徴的な谷などいくつかの特徴を有している。ヴィソコ市へはアドリア海沿岸に向かって伸びる鉄道や、サラエヴォ・ゼニツァを経由し北へつづく特別道路によって各地と結ばれている。
歴史
ヴィソコ周辺はかつて中世ボスニアの中心であった。オスマン帝国時代に、ビスコの町はアヤス=ベグ(Ajas-beg)によって作られた。オーストリア・ハンガリー帝国によるボスニア併合の後も、ヴィソコにはオスマン帝国の支配下一帯で共通のオリエンタル様式を反映した当時新しい様式が残っている。初め、ユーゴスラビアのヴィソコは開発が十分に進まなかった。第二次世界大戦中、町自身は特に被害を受けなかった。戦後、社会主義体制のユーゴスラビア統治下で町はおおきく発展を遂げた。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争当時はヴィソコの町も戦乱から逃れることは出来ず、4年間にわたってボスニア軍の支配下に置かれた。2006年現在、ヴィソコの町は豊かな歴史と文化の残された町であるが、戦乱による経済的損失は大きく、いまだ回復しきっていない。