ヴィタリー・アバラコフ

Vitaly Mikhaylovich Abalakov
生誕 ロシア帝国の旗 ロシア帝国 クラスノヤルスク
死没 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 モスクワ
出身校 メンデレーエフ記念化学工科大学
職業 化学者登山家発明家
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ヴィタリー・アバラコフロシア語: Вита́лий Миха́йлович Абала́ков1906年1月13日ユリウス暦 12月31日)クラスノヤルスク -1986年5月26日モスクワ[1])は、ソビエト連邦化学者登山家発明家である。

弟のエヴゲーニイ・アバラコフもまた著名な登山家で、彫刻家であった。1934年に初めてレーニン峰の登頂を成し遂げたソビエト人であり、その後も2度以上登頂した。1936年には、数本の指や足の一部を失いながら天山山脈で2番目に高いハン・テングリを登頂した[2]。1956年に、天山山脈の最高峰ポベーダ山の人類初登頂を成し遂げた。

発明品

アイスクライミングで使用するアバラコフ(Vスレッド)や、登山のための革新的な数々の発明を行った[3][4]

受賞

レーニン勲章(1957年)、en:Order of the Badge of Honour(1972年)、Honoured Master of Sports of the USSR (1943), Honoured Trainer of the USSR (1961).

書籍

出典

関連項目

  • 内務人民委員部秘密警察)- 英語版Wikipediaによると1938年に逮捕されて、1940年まで捜査対象であったと記されている(出典なし)。