三橋美智也
三橋美智也 | |
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『画報現代史 補巻第15集』(1957年)より | |
基本情報 | |
出生名 | 北沢美智也 |
別名 | ミッチー |
生誕 | 1930年11月10日 |
出身地 |
日本 北海道上磯郡上磯町峩朗 (現在の北斗市) |
死没 |
1996年1月8日(65歳没) 日本 大阪府大阪市阿倍野区(大阪市立大学医学部附属病院[1]) |
ジャンル | 演歌、民謡、歌謡曲 |
職業 | 歌手、三味線奏者 |
担当楽器 | 津軽三味線 |
活動期間 | 1942年、1954年 - 1995年 |
レーベル |
日本コロムビア(1942年) キングレコード(1954年 - 1995年) |
三橋 美智也(みはし みちや、本名・北沢 美智也[2]、1930年11月10日 - 1996年1月8日)は、北海道上磯郡上磯町峩朗(現在の北斗市)生まれ、函館市育ちの流行歌手。愛称は「みっちゃん」「ミッチー」。
民謡で鍛えた伸びやかな高音と絶妙のこぶし回しを持ち味に、昭和30年代の日本の歌謡界黄金期をリードし、数多くのミリオンセラーを連発。販売枚数は日本人で唯一、1億枚に達したとされている[注釈 1]、昭和歌謡界を代表する男性歌手の一人[3]。特に全盛期の昭和30年代前半は「三橋で明けて三橋で暮れる」と言われるほどの絶大な人気を誇った[4]。
来歴・生涯
セメント会社の作業員だった父は三橋が3歳の誕生日前日に落盤事故で亡くなる。母は渡島当別に転居して川田男爵イモ農場に住み込みで就職し、翌年には作業員の男性と再婚。この夫婦の間には3人の弟と1人の妹が出来る。その後は養父が国鉄の職員となり、函館市万代町へ転居。一方の三橋は5歳の頃から舞台を踏み、民謡歌手だった母に幼い頃から鍛えられ、小学校の入学と同時に叔父から追分を習い、9歳の時に全道民謡コンクールで優勝。この頃に海で右耳をウツボに突っつかれ難聴になる。その後は巡業に参加などしつつ家計を支え、12歳の時にコロムビアで民謡を吹き込む。小学校卒業後は国鉄・木古内保線区に日雇作業員として就職する傍ら、津軽三味線を習い初め、白川軍八郎一座とともに修行を続ける。16歳の時には三浦為七郎民謡一座、陸奥乃家演芸団に参加。
19歳の時に「歌だけではなく違う世界も知りたい」と三味線一本を持って上京し、榎本健一・古川ロッパの家に弟子入り志願で出向いた事もあった。その後は横浜市の綱島温泉「東京園」で民謡教室のアルバイトをする傍ら、ボイラーマンの仕事もしていた。人一倍真面目に働き、その勤勉さを風呂屋の主人に見込まれ、21歳になった1951年には明大中野高校定時制に通うことを許された。高校入学と同時に「東京園」で世話になった北沢家と養子縁組をしたほか、NHK「邦楽オーディション」に合格。高校では普通の生徒よりもずっと年上で、彼らから「おとっさん」と呼ばれ親しまれた。
1953年、弟子の吹き込みに三味線伴奏者として同行した際、三橋のレッスンの声がディレクターの耳にとまり、キングレコードの専属歌手として契約。明治大学への進学も決まった1954年に「酒の苦さよ」でデビューすると、1955年に「おんな船頭唄」が大ヒット。たちまち人気歌手の仲間入りを果たすと、学業どころではなくなったため大学を中退。その後も昭和30年代には「あの娘が泣いてる波止場」「リンゴ村から」「哀愁列車」「母恋吹雪」「おさらば東京」「夕焼けとんび」「古城」「達者でナ」「星屑の町」などの歌謡曲、「北海盆唄」「花笠音頭」「ソーラン節」「津軽じょんから節」「炭鉱節」「黒田節」などの民謡がミリオンセラーとなり、「三橋で明けて三橋で暮れる(三橋で暮れて三橋で明ける とも)」と言われるほどの人気を得る。キングの全盛期を春日八郎・若原一郎と共に築き上げ、「キング三羽烏」「三人男」と呼ばれる。
1974年からはカール(明治製菓)のコマーシャルソングを担当し、同年12月の「雪だるま編」から1993年1月の「おしゃべり貯金箱プレゼント編」まで20年間で31作も歌った。三橋が歌うことになったのは小坂一也の推薦による[5]。当初三橋はCMソングを歌うことに難色を示したが、「小坂の推薦」ということ、小坂が歌ったデモテープを聴き興味を示したことで承諾した[6]。ACC CMフェスティバルでも何度も受賞しており、1976年には「ひっくりカエル/おじさん独唱/落葉」の3作がテレビフィルムCM部門秀作賞を受賞し、2001年にはCM殿堂入りを果たす[7] [8] [9]。1983年「春 おじさん橋編」[10]・1985年「夏 祭りだいこ編」が秀作賞[11]、1987年「秋 つり鐘編」[12]・1990年「池のほとり編」[13]・1992年「きもだめし編」が優秀賞を受賞[14] [15]。ラジオCMも1976年の「バターミルクあじ編」がCM音楽部門ACC賞[16]、1978年にはラジオCM「カールこぶし教室 北海盆歌/佐渡おけさ/黒田節」がラジオCM部門秀作賞[17]を受賞している。
1976年5月には帝国劇場で藤本義一脚本の舞台「津軽三味線ながれぶし」に出演し、片岡仁左衛門・山田五十鈴・赤木春恵・市原悦子・花紀京・浜畑賢吉と共演。連日超満員の記録を作った。同年8月には「日本各地に残る民謡こそ日本人の歌の故郷」という想いから、自ら家元になって「民謡三橋流」を創設し、1977年12月には東京都世田谷区南烏山の自宅に「根本道場是空庵」を開設。門下に千昌夫・細川たかし・石川さゆりらがいる。
1978年には「電撃わいどウルトラ放送局」(ラジオ関東)のパーソナリティに抜擢され、自身初めてのDJに挑戦。「ミッチー」の愛称で若者にも人気を得て、周囲の度肝を抜いた。番組中には当時の流行語「フィーバー」を使い、1980年に出演したカップ麺「激めん」(東洋水産)のCMでは、流行語の元になった映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の主演であるジョン・トラボルタ風のスーツ姿で「激れ!激れ!」と連呼。1979年にはゴールデン・アロー賞特別賞も受賞し、同年7月1日にはSDTの開局記念特別番組「翔べ静岡第一テレビ」の司会を務めた。1981年には世田谷区烏山に「三菱堂ダイヤモンド店」をオープン。1982年11月には上越新幹線開通記念フェスティバルで新潟県民会館・新潟市体育館に両日出演し、その模様がNST・BSNで生中継された。1983年には日本の歌手として史上初めてレコードのプレス枚数が1億枚を突破したとされる[注釈 1]。ブラジル(1979年)・香港(1981年)・韓国(1985年)でも公演を行っており、ブラジルでは最高勲章を受賞。1985年にはハワイ「NBCコンサートホール」で公演を行った後、ディズニーランド創立30周年記念公演も行った。1986年には静岡県熱海市に高級リゾートホテル「サン三橋」を落成し、45億円を投資した。1988年には親交が深かった春日・村田英雄と三人の会を結成し、演歌界の活性化を図った。
私生活
一方、私生活では二子をもうけた糟糠の妻・喜久子と1966年に離婚[注釈 2]。その後は再婚して三人の子宝にも恵まれたが、晩年は妻からの家庭内暴力[注釈 3]や財産乗っ取り[注釈 4]に苦しむ。1992年には「サン三橋」が倒産し[注釈 5]、200億円の負債を抱える。1994年からは東京の自宅を出て、大阪市西成区のマネージャー宅で暮らしていた[注釈 6]。
森繁久彌・加山雄三とはヨット仲間で、塩月弥栄子・大橋巨泉とはボウリングがきっかけで知り合った。生前は熱狂的な読売ジャイアンツファンで、王貞治と親交があった。その前は阪神タイガースと西鉄ライオンズを贔屓にしており、村山実と雑誌の表紙へ一緒に出てから親しくなると、横浜中華街で食事を一緒にして意気投合した。その他に野球界では荒川博・張本勲、相撲界では大鵬幸喜、プロレス界では力道山・キラー・カーン、競馬界では増沢末夫・小島太と親交があった。
メルセデス・ベンツ・300SLを所有と書かれたが190SLの誤りである。
晩年
私生活での心労が重なったこともあって持病の糖尿病が悪化し、1993年1月に入院。声の衰えも隠せなくなったほか、薬の副作用等により脱毛が酷く、それを隠すためにカツラも使っており、かつての恰幅のよさも無くなっていた。このことについて、三橋と親交が深かった立川談志は「もっと年齢相応に(キーを下げたり)しても良かったのでは」と著書に記しているが、独特な節回しと風格は晩年も変わることはなく、1990年8月11日にNHK『思い出のメロディー』で歌唱した「古城」は、「三橋演歌50年間の集大成」とも評された。1995年、3月4日から5日にかけて後援会「みちや会」の旅行会「三河湾国定公園・三谷温泉」へ参加。その数日後に倒れて緊急入院するも、一旦は回復して退院。5月には阪神大震災復興支援チャリティーゴルフコンペを開いたが、同年10月26日の18時35分頃、滋賀県甲賀郡信楽町(現在の甲賀市)の「タラオカントリークラブ」での帰路、走行中のタクシー車内で心臓発作を起こし、西成区岸里の「山本第一病院」に再入院。その後も意識不明の重体のまま、阿倍野区旭町の大阪市立大学医学部附属病院に転院したが、1996年1月8日午前11時30分、意識が戻ることなく多臓器不全のため亡くなった[1]。65歳没。前年9月11日に東京プリンスホテルで開かれた玉置宏の芸能生活40周年記念パーティー「玉置節で40年!!」に出席して「哀愁列車」を歌唱し、10月8日にテレビ東京・日曜ビッグスペシャルで放映されたのが、三橋の生涯最後の歌唱映像となった。2日後の1996年1月10日に通夜が、翌11日に密葬・告別式が西成区玉出の「光福寺」で取り行われた。法名は妙聲院釋智誠大居士(みょうしょういんしゃくちじょうだいこじ)。その後、2月5日には青山葬儀所で音楽葬が行われ、約2000人が列席。献唱曲は自身の大ヒット曲である「古城」だった。現在は墓所が2つあり、東京都の小平霊園と大阪府東大阪市の石切霊園。
受賞
- 日本レコード大賞(20周年記念顕彰 第20回)〔1978年〕
- 日本レコード大賞(功労賞 第35回)〔1993年〕
- ゴールデン・アロー賞(特別賞 第16回)〔1979年〕
- メガロポリス歌謡祭(特別賞 第2回)〔1983年〕
- 日本歌謡大賞(演歌功労賞 第10回)〔1984年〕
NHK紅白歌合戦出場歴
NHK紅白歌合戦には1956年に初出場。以後、連続出場を重ねたが、1965年の第16回紅白をもって連続出場が途切れる。翌1966年紅白落選の理由は、当時の妻との離婚が影響したと言われている。その後、1974年の第25回紅白で紅白25回記念の「人気歌手枠」で春日八郎とともに再出場を果たす。以後、1977年まで4年連続で出場を果たした。通算14回。初出場から10回連続出場までの間では、美空ひばりや島倉千代子、江利チエミといった女性人気歌手と対戦し、トリも4度飾っている。11回目出場以後では、山口百恵・森昌子・南沙織など、若手女性アイドル歌手と対戦していた。
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 | 備考 |
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1956年/第7回 | 初 | 哀愁列車 | 09/25 | 江利チエミ(1) | |
1957年/第8回 | 2 | リンゴ花咲く故郷へ | 25/25 | 美空ひばり(1) | トリ(1) |
1958年/第9回 | 3 | おさらば東京 | 25/25 | 美空ひばり(2) | トリ(2) |
1959年/第10回 | 4 | 古城 | 13/25 | 島倉千代子(1) | |
1960年/第11回 | 5 | 達者でナ | 27/27 | 島倉千代子(2) | 大トリ(3) |
1961年/第12回 | 6 | 石狩川悲歌 | 13/25 | 江利チエミ(2) | |
1962年/第13回 | 7 | 星屑の町 | 25/25 | 島倉千代子(3) | 大トリ(4) |
1963年/第14回 | 8 | 流れ星だよ | 13/25 | 島倉千代子(4) | |
1964年/第15回 | 9 | また来るよ | 14/25 | 江利チエミ(3) | |
1965年/第16回 | 10 | 二本松少年隊 | 12/25 | 島倉千代子(5) | |
1974年/第25回 | 11 | 哀愁列車(2回目) | 17/25 | 小坂明子 | |
1975年/第26回 | 12 | 津軽じょんから節 | 14/24 | 山口百恵 | |
1976年/第27回 | 13 | 津軽甚句 | 13/24 | 森昌子 | |
1977年/第28回 | 14 | 風の街 | 10/24 | 南沙織 |
(注意点)
- 対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数を表す。
- 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「(出演順)/(白組出場者数)」で表す。
代表曲
1940年代
- 江差追分 前唄・本唄・送り唄 - 1942年
- じょんがら節 - 1942年
- よされ節 - 1942年
- タント節 - 1942年
- 津軽小原節 新節・旧節 - 1942年
- 米山甚句 - 1942年
- 博多節 - 1942年
1950年代
- 酒の苦さよ〜新相馬節〜 - 1954年
- 瞼のふる里〜南部牛追唄〜 - 1954年
- かっぱ踊り - 1954年
- はてなき涙/東京から故郷から - 1954年
- 角帽浪人/どんと節 - 1954年
- おんな船頭唄 - 1955年藤間哲郎、山口俊郎
- ご機嫌さんよ達者かね - 1955年
- 里恋がらす - 1955年
- あゝ新撰組 - 1955年
- 噂のこして/二人の朝はきっと来る - 1955年
- 島の船唄 - 1955年
- 君は海鳥渡り鳥 - 1955年
- 小島の鴎/あの娘が泣いてる波止場 - 1955年高野公男、船村徹
- 船頭追分 - 1956年
- 草枕幾度ぞ - 1956年
- 御存知赤城山 - 1956年
- 男涙の子守唄/あゝ田原坂 - 1956年高橋掬太郎、細川潤一
- リンゴ村から - 1956年矢野亮、林伊佐緒
- 笹川月夜 - 1956年
- 哀愁列車 - 1956年横井弘、鎌多俊与
- 玄海船乗り - 1956年
- 豊年まつり - 1956年
- 神戸みなとおどり - 1956年
- 泪と侍 - 1956年
- 篭つるべ - 1956年
- さすらいの唄〜津軽山唄〜 - 1956年
- 逢いぞめ笠 - 1956年
- 縁があったらまた逢おう - 1956年
- お花ちゃん - 1956年共唱:斉藤京子
- 手まり数え唄 - 1956年
- みれん峠 - 1956年
- 木曽節 - 1956年
- 木曽恋がらす - 1956年
- 母恋吹雪/江差恋しや - 1956年
- あゝ想夫恋 - 1956年
- おさよ可愛や - 1956年
- 旅行く一茶 - 1956年
- おとこ三味線 - 1957年
- 俺ら炭鉱夫 - 1957年
- 東京見物 - 1957年
- 一本刀土俵入り - 1957年高橋掬太郎、細川潤一
- 利根の夕焼け/折鶴さんど笠 - 1957年
- おけさ舟唄/顔見に来たのさ - 1957年
- 美智也さのさ/淡海くずし - 1957年
- 峠の馬ッコ - 1957年
- みんな輪になって - 1957年
- リンゴ花咲く故郷へ - 1957年
- 花笠音頭 - 1957年
- 別れ笛/果てない航路 - 1957年
- 僕は郵便屋さん - 1957年
- おさげと花と地蔵さんと/三味線渡り鳥 - 1957年東條寿三郎、細川潤一
- 里恋い越後獅子 - 1957年
- おさらば東京 - 1957年横井弘、中野忠晴
- すってんてん人生 - 1957年
- ギター鴎 - 1958年矢野亮、吉田矢健治
- 船は三十石櫓は八丁 - 1958年
- 流転波止場 - 1958年
- 草笛の丘 - 1958年
- 夕焼けとんび - 1958年
- 民謡酒場 - 1958年
- 夜霧のデッキ - 1958年
- 美智也馬子唄/美智也マドロス - 1958年
- 東京ばやし - 1958年
- 島の見える峠 - 1958年
- 海の騎士 - 1958年
- 札幌音頭 - 1958年
- センチメンタルトーキョー/幸福さん - 1958年
- 月の峠路 - 1958年
- 重の井子別れ - 1958年
- おしどり新打 - 1958年
- 東京よいとこ - 1958年
- 帰る日が楽しみさ - 1958年
- 調布音頭 - 1958年
- 赤い夕陽の故郷 - 1958年横井弘、中野忠晴
- ごろすけほゥ/岩手の和尚さん - 1958年
- 男の旅笠 - 1958年
- 木枯し子守唄 - 1959年
- 民謡風呂/浪人小唄 - 1959年
- 笛吹峠 - 1959年
- 風の中の男 - 1959年
- 夢で逢えるさ/夜風に聞いたよ - 1959年
- 風流弥次喜多ぶし - 1959年
- やくざ三味線 - 1959年
- かすりの女と背広の男 - 1959年
- てんまり波止場 - 1959年
- 道産子音頭 - 1959年
- 会津磐梯山/八戸小唄 - 1959年
- 東京タワーをやぐらに代えて - 1959年
- お城音頭 - 1959年
- 関西ロマンス - 1959年
- 九州よかとこ - 1959年
- 古城/祭り太鼓 - 1959年高橋掬太郎、細川潤一
- ちんから馬子唄 - 1959年
- 俺は機関手 - 1959年
- たった一人の人でした - 1959年
- 壁/俺達は狙われている - 1959年横井弘、古賀丈晴
- 泣くなよしきり - 1959年
- 情け無用の男 - 1959年
- 麦ふみ坊主 - 1959年
- 北海の終列車 - 1959年
- 東京が泣いている - 1959年
- 燕が帰る/誰も知らない赤い花 - 1959年
- 神輿音頭/おいでや小唄 - 1959年矢野亮、中野忠晴
1960年代
- 迷子のとんびッコ - 1960年
- 雪のだるまさん - 1960年
- 大江戸まつり唄 - 1960年
- 保津川下り - 1960年
- あばよ - 1960年
- あゝ故郷 - 1960年
- 夜のマネキン人形 - 1960年
- みかんの故里/海峡 - 1960年
- 船出哀しや - 1960年
- 紅白音頭 - 1960年
- こけしぼっこ - 1960年
- 故郷はどこさ/ねずみがチュー - 1960年
- 城ヶ島慕情 - 1960年
- あゝ大阪城 - 1960年
- 白菊の唄 - 1960年
- 兄ちゃん案山子 - 1960年
- 恋の八丈太鼓 - 1960年
- 快傑ハリマオの歌 - 1960年加藤省吾、小川寛興
- 連続テレビ映画「快傑ハリマオ」主題歌
- 達者でナ - 1960年横井弘、中野忠晴
- 恋慕舟唄 - 1960年
- 津軽追分/また来るぜ東京 - 1960年
- 恋の一刀流 - 1961年
- さすらい流し - 1961年
- センチメンタル・ガイ/銀座ディキシー - 1961年
- 雨の九段坂/花の八幡船 - 1961年
- 富士の雲笠踊り - 1961年
- 岸壁の男 - 1961年
- 武田節 - 1961年
- 北から南から - 1961年
- 北海道函館本線 - 1961年
- 美智也子守唄 - 1961年
- アヤヤ・アパパ/美智也ばやし - 1961年
- あゝ城山 - 1961年
- 館林新調 - 1961年
- じゃんがら囃子 - 1961年
- 旅情小唄 - 1961年
- 懐しの高原 - 1961年
- 津軽恋しや - 1961年
- 啄木旅愁 - 1961年
- 山は百万石 - 1961年
- 石狩川悲歌/島のアンコさん - 1961年 高橋掬太郎、江口浩司
- 赤い林檎ッコ - 1961年
- さいはての岬町 - 1961年
- 通りゃんせ小路 - 1962年
- シベリアの母 - 1962年
- 日本人 - 1962年
- 男の恋唄 - 1962年
- 津軽の三男坊 - 1962年
- ノサップの風 - 1962年
- 日本音頭 - 1962年
- 星屑の街 - 1962年 東條寿三郎、安部芳明
- 文化放送「全国歌謡ベストテン」で連続1位に、第4回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。
- つばくろやくざ - 1962年 東映映画「男度胸のあやめ笠」主題歌
- 新撰組の唄/美智也数え唄 - 1962年
- てもても音頭 - 1962年
- 東京はふるさと/別れ峠 - 1962年
- 美智也都々逸/梅は咲いたか - 1962年
- さすらい列車/道産子だい - 1962年
- 舞扇花柳流/ことぶき音頭 - 1962年
- 歌ひとすじに/さすらい小唄 - 1962年
- 乃木将軍の歌 - 1962年
- あゝ日蓮 - 1962年
- マドロス家業はやめられぬ/船路は暮れて - 1962年
- 流れ星だよ/人生の水たまり - 1962年
- 新十三の砂山/さすらいの唄〜津軽山唄〜 - 1962年
- ソーラン唄便り/みかん船だよ - 1963年
- 大番/さいはての月 - 1963年
- 旅路/海峡鴎 - 1963年
- こけしの故里/いろり火物語 - 1963年
- 徳川家康〜啼くまで待とう時鳥〜/徳川家康〜家康の生涯〜 - 1963年
- 花ッコ追分 - 1963年
- はてなき旅路 - 1963年
- いつでもおかあさんはおかあさん/涙の花嫁船 - 1963年
- あゝこの街に雨が降る/椿大島 - 1963年
- あゝ太平洋/いって来るぜ - 1963年
- 梅川忠兵衛 - 1963年
- メノコ恋唄/泣きたい岬 - 1963年
- 明治一代男/天竜やくざ - 1963年
- 俺らつらいなァ/流転の唄 - 1963年
- でかいこの夢/じょんがら便り - 1963年
- 流れ三味線/荒磯の娘 - 1963年
- ひとすじの道/りんごの故里 - 1964年
- 生きる喜び/愛の歌 - 1964年
- 男の舞扇/若い生命 - 1964年
- 母恋だより/天草慕情 - 1964年
- 東京五輪音頭 - 1964年宮田隆、古賀政男
- 作曲者の古賀政男は、元々三橋美智也を想定して作曲したといわれる。
- 東村山音頭 - 1964年土屋忠司、細川潤一
- 東村山市農協の依頼により制作。後に志村けんのカヴァーにより有名になる。
- 俺らの街が目をさます/美智也船唄 - 1964年
- あゝ新戦場/あゝ大陸 - 1964年
- 星と歩こう/離れるもんか故郷を - 1964年
- 夜のブランコ/アコとギターと裏町と - 1964年
- 信濃川悲歌/また来るよ - 1964年
- さらば雪国/リンゴ便り - 1964年
- 青空のブルース/誰もいない渚 - 1964年
- 今夜も星がいっぱいだ/恋人よごきげんよう - 1965年
- あの人は遠い人/いのちの恋を捨てたんだ - 1965年
- 酔って候 - 1965年
- 山がある川がある/帰っておいでよ - 1965年
- 祭り獅子/若衆ざくら - 1965年
- 大漁太鼓/東京はさよならの町 - 1965年
- 話をしようよ眠るまで/ふたり船唄 - 1965年
- 二本松少年隊/あゝ源氏武士 - 1965年
- 美智也ぶし - 1965年
- 女形かずら/名残り酒 - 1965年
- 源義経 - 1966年
- あゝさすらい/信濃の夕月 - 1966年
- 恋とさむらい/美智也投げ節 - 1966年
- 日本よい国 - 1966年
- 泣くな東京/俺は淋しいひとり者 - 1966年
- 旅の風車/おやすみ東京 - 1966年
- 緋牡丹仁義/任侠街道 - 1966年
- ふるさとの笛/花の人生 - 1966年
- 東京ってそんなにいいとこか/なみだ橋 - 1966年
- 一本杉は男杉/斎太郎しぶき - 1966年
- 浜木綿の花咲けば/哀愁峠 - 1967年
- 博多の月/おけさ慕情 - 1967年
- 堀のある町/十和田哀歌 - 1967年
- 東京の鳩/あんずっこ - 1967年
- 東京百年音頭 - 1967年
- わがこころ/あばれ凧 - 1967年
- 夕陽の旅路/冬の宿 - 1967年
- 黒潮の男/雪国 - 1968年
- 星のこだま/大街道の女 - 1968年
- 城山/じょんがら慕情 - 1968年
- 男の出船/はぐれ念仏 - 1968年
- 白鳥の恋/夕陽の海峡 - 1969年
- 哀愁平野/ネオンに降る雨 - 1969年
- 機関車物語/おふくろ - 1969年
- 鳴門海峡/大阿蘇慕情 - 1969年
1970年代
- 君呼ぶ町/蝶々とかかし - 1970年
- 日の本音頭 - 1970年
- 泣かないで帰えろ - 1970年
- さけ・うた・おんな/涙そこどけ演歌が通る - 1970年
- ありがとう思い出/白い貝がら - 1971年
- ニコニコ音頭/やっさもっさ音頭 - 1971年
- 古都の雨/雪国に雪の降る頃 - 1972年
- 新府城/武田二十四将 - 1972年
- ちょっとお話ししませんか/旅人の子守唄 - 1972年
- 旅情・十三の砂山/ふるさとの四季 - 1972年
- 水上夜曲 - 1972年
- お国めぐり音頭 - 1973年
- 下関音頭/花の奇兵隊 - 1973年
- あゝ高嶋城〜諏訪の浮城〜 - 1973年
- サイパン小唄/急行をすてて各駅にのりかえると - 1973年
- トレビノ小唄/ナインホールラグ - 1973年
- 悲しみ河岸/恋放浪(歌謡生活20周年記念)- 1973年
- 京都が泣いている/恋みれん - 1974年
- 海洋博ユンタ - 1974年
- 海洋博協会選定歌
- 男勝海舟/寺田屋お登勢 - 1974年
- あゝ金沢城/百万石の町 - 1975年
- 大勧進帳/ああ関ヶ原 - 1975年
- 郷愁/鵜の浜小唄 - 1975年
- 坂東節/恋あらし - 1976年
- 越中音頭 - 1976年
- 新埼玉盆唄 - 1976年
- 仲良しシャンシャン - 1976年
- 佐野音頭 - 1976年
- あんたの背中/リンゴがお酒になるように - 1976年
- 島の子守唄 - 1976年
- 人生音頭 - 1977年
- ごくらく音頭 - 1977年
- 風の街/北緯四十五度の町 - 1977年
- ふるさと太鼓 - 1978年
- 瞼の中に故里が/花恋し人恋し親恋し - 1978年
- 重忠節 - 1978年
- さすらい船/ど根性船唄 - 1978年
- THE TOMBI(夕焼けとんび)/BYE BYE HOUSE(達者でナ) - 1979年
- かしわふるさと音頭/青春かしわ - 1979年
1980年代
- 影/もがり笛の子守唄 - 1980年
- 父子星/哀唱琴の湖 - 1980年
- 信濃路音頭/御牧高原旅情 - 1981年
- 湯の町さのさ - 1981年
- 津軽涙唄/北の別れ唄 - 1982年
- いいじゃありませんか/みんな達者でね - 1982年
- フジテレビ系アニメ『おじゃまんが山田くん』主題歌。唯一スターチャイルドレコードで発売
- 越後絶唱/冬の花火(歌謡生活30周年記念)- 1982年
- 十六夜だより/匠(歌謡生活30周年記念)- 1983年
- 秋風川中島 - 1983年
- 霧笛 - 1983年
- I'm A 北海道 Man - 1984年荒木とよひさ、かまやつひろし
- 筑波しぐれ/涙はおあずけ〜こぶしの花の咲く頃を〜 - 1985年
- あゝ高杉晋作/名将伊達政宗 - 1986年
- 千曲川旅情/臼田ばやし - 1986年
- 忠節白虎隊 - 1988年
- 望郷江差/冬峠(歌謡生活35周年記念)- 1988年
1990年代
- いいもんだな故郷は - 1990年
- 雪小僧/紅の櫛 - 1991年
- ゴエモン音頭/ゴエモン町を行く - 1991年
- SFCソフト「がんばれゴエモン〜ゆき姫救出絵巻〜」のテーマソング。
- 幻灯の町/潮路(歌謡生活40周年記念・ラストシングル)- 1993年
2000年代
以下の2曲は、三人の会の作品。
- 哀愁 - 2001年
- 男のふるさと - 2001年
オリジナル・アルバム
- 故郷ばなし 母と子に捧げる炉端の詩 - 1973年
- 唄めぐり 北から南、西東 - 1974年
- 三橋美智也 古賀メロディーを歌う - 1975年
- 城下町の女 - 1976年
- 三橋美智也の世界 - 1978年
- 三橋美智也民謡の世界 - 1978年
- 激れ!ミッチー - 1979年
- ふるさと絶唱 - 1982年
ライブ・アルバム
- あつい円熟 - 1973年
- 美智也まつりライブ - 1984年
ミリオンセラー30曲一覧
歌謡曲:18曲
- 1位「古城」300万枚
- 2位「リンゴ村から」「星屑の町」270万枚
- 4位「哀愁列車」250万枚
- 5位「夕焼けとんび」「達者でナ」220万枚
- 7位「おんな船頭唄」「母恋吹雪」200万枚
- 9位「あの娘が泣いてる波止場」180万枚
- 10位「お花ちゃん」「一本刀土俵入り」「赤い夕陽の故郷」「武田節」「石狩川悲歌」150万枚
- 15位「男涙の子守唄」120万枚
- 16位「あゝ新撰組」「おさげと花と地蔵さんと」110万枚
- 18位「おさらば東京」100万枚
民謡:12曲
- 1位「相馬盆唄」「炭鉱節」280万枚
- 3位「花笠音頭」270万枚
- 4位「黒田節」「北海盆唄」260万枚
- 6位「ソーラン節」「斉太郎節」「佐渡おけさ」250万枚
- 9位「津軽じょんから節」180万枚
- 10位「木曽節」「江差追分」170万枚
- 12位「相川音頭」130万枚
ミリオンセラーに続く上位ヒットソング
- 1位「ギター鴎」
- 2位「岩手の和尚さん」
- 3位「ご機嫌さんよ達者かね」
- 4位「俺ら炭鉱夫」
- 5位「リンゴ花咲く故郷へ」
- 6位「センチメンタル・トーキョー」
- 7位「新撰組の唄」
- 8位「玄海船乗り」
- 9位「江差恋しや」
- 10位「東京の鳩」
- 11位「みれん峠」
- 12位「島の船唄」
- 13位「君は海鳥渡り鳥」
- 14位「東京見物」
- 15位「泪と侍」
- 16位「かすりの女と背広の男」
- 17位「北海の終列車」
- 18位「堀のある町」
- 19位「酒の苦さよ〜新相馬節〜」
- 20位「船頭追分」
- 21位「縁があったらまた逢おう」
- 22位「夢で逢えるさ」
- 23位「東京が泣いている」
- 24位「いいもんだな故郷は」
- 25位「御存知赤城山」
- 26位「手まり数え唄」
- 27位「木曽恋がらす」
- 28位「草笛の丘」
- 29位「笛吹峠」
- 30位「鳴門海峡」
- 31位「京都が泣いている」
- 32位「越後絶唱」
- 33位「さすらい船」
- 34位「父子星」
出演作品
- 映画
- 赤いランプの終列車 (1958) (日活)
- わが古城の町 (1959) (松竹)
- テレビ
- 歌のゴールデンステージ(NHK)
- お国自慢にしひがし(NHK)
- 歌謡ホール(NHK)
- この人○○ショー(NHK)
- ビッグショー(NHK)
- ひるのプレゼント(NHK)
- 乾杯!トークそんぐ(MBS)
- ザ・ベストテン(TBS、1978年11月9日)
- 枝雀寄席(ABC、1985年10月1日)
- スター誕生!(日本テレビ)
- にっぽんの歌(テレビ東京)
- 人に歴史あり(東京12チャンネル)
- 百万ドルの饗宴(日本テレビ)
- 夜のヒットスタジオ(フジテレビ、1977年1月24日)
- おじゃまんが山田くん(フジテレビ)
- ラジオ
- CM
著書
- 『歌ひとすじに』サンデー映画社・サンデー新書 1957
- 『ミッチーの人生演歌』翼書院 1983
脚注
注釈
- ^ a b オリコン発足前のため、売上枚数などの正確な記録は残っていない。そのため、オリコン記録では、CDの売り上げが日本一のアーティストは、総売り上げが約8148万枚のB'zである。
- ^ この出来事がきっかけで『NHK紅白歌合戦』に落選したと言われている。
- ^ 馬乗りで殴られる等。
- ^ 妻と娘と娘婿が共謀して、ゴルフ場の高級会員権を三橋に無断で売却したほか、三橋が加入していた保険を解約して給付金を全て使ってしまう等。
- ^ その後「ホテルサンミ倶楽部」に改称し[18]、2023年現在は万葉倶楽部傘下。
- ^ 妻との離婚については亡くなる2年前より民事裁判で争われ、裁判の結果、三橋が倒れる直前に離婚が成立し、翌年春にはマネージャーと再々婚の予定だったが、三橋が突然倒れ、死去したため再々婚は果たせなかった。
出典
- ^ a b “史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか”. 現代ビジネス (2011年8月17日). 2019年12月19日閲覧。
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus「三橋美智也」(コトバンク)
- ^ “昭和偉人伝 #87 三橋美智也(村田英雄、春日八郎、三波春夫)”. BS朝日 (2017年9月13日). 2022年7月14日閲覧。
- ^ “三橋美智也メモリアルコンサート:8月21日(火) 22日(水)浅草公会堂にて開催~人間国宝・坂東玉三郎、作曲家・小椋佳も出演決定!!”. PR TIMES (2018年7月12日). 2022年10月22日閲覧。
- ^ 「ひげまろの昭和CMソングMEMORIES 明治カールのうた(春篇)(3)」、『デイリースポーツ』2012年9月27日付、21面、12版B。
- ^ 「ひげまろの昭和CMソングMEMORIES 明治カールのうた(春篇)(4)」、『デイリースポーツ』2012年9月28日付、21面、12版。
- ^ 検索結果 明治カール「ひっくりカエル/おじさん独唱/落葉」 - 放送ライブラリ公式ページ
- ^ パーマネントコレクション - 一般社団法人 ACC
- ^ パーマネントコレクション CM作品集(ラジオ) 殿堂入り年度順 - ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS
- ^ 検索結果 カール「春 おじさん橋編」 - 放送ライブラリ公式ページ
- ^ 検索結果 カール「1985夏 祭りだいこ編」 - 放送ライブラリ公式ページ
- ^ 検索結果 カール「秋 つり鐘」 - 放送ライブラリ公式ページ
- ^ 検索結果 カール「池のほとり」 - 放送ライブラリ公式ページ
- ^ カールなつかCM『きもだめし』篇(1991年)|CM情報|カールおらが村|株式会社 明治 - Meiji Co., Ltd.
- ^ 検索結果 カール「夏 きもだめし」 - 放送ライブラリ公式ページ
- ^ 検索結果 明治カール「バターミルク味」 - 放送ライブラリ公式ページ
- ^ 検索結果 明治カール「カールこぶし教室 北海盆歌/佐渡おけさ/黒田節」 - 放送ライブラリ公式ページ
- ^ 村山憲三 (2012年4月14日). “三橋美智也さんを偲ぶ会(17回忌)、三橋美智清ディナーショーin熱海ホテルサンミ倶楽部”. 七転八起 - 村山憲三 Official Site. 2023年1月30日閲覧。
- ^ 長田暁二『歌謡曲おもしろこぼれ話』社会思想社、2002年、75頁。ISBN 4390116495
- ^ 【もっともっと納豆委員会】第194回「発見!納豆の歌・てもても音頭」、総本舗水戸納豆、2016年8月12日。
- ^ 【もっともっと納豆委員会】第300回記念「納豆界激震!?超有力情報入手!」、総本舗水戸納豆、2017年6月26日。
関連項目
- 1954年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手
- 音楽に関する世界一の一覧
- 売れた音楽家の一覧