三顧の礼

三顧の礼(さんこのれい)は、故事成語のひとつ。目上の人が格下の者の許に出向き、礼を尽くしてお願いをすること[1]。三国時代直前の中国において、劉備が諸葛亮を軍師として迎えるために、彼の家を三度も訪ねたという故事に由来する[1]。単に「三顧」ともいう[1]。
概要
黄巾の乱の鎮圧で関羽・張飛とともに天下に名を揚げていた劉備に対して、諸葛亮は司馬徽など一部の人にのみ名前を知られた存在だった。しかも劉備が40代に対し、諸葛亮は20代であり、明らかな上下関係が社会通念上あるにもかかわらず、それに捉われない応対をしたことから有名になった故事である[1]。
ただし劉備は最初から「三顧の礼」を尽くそうとしたわけではなく、劉備に仕えていた徐庶が友人である諸葛亮を勧めた際に、「将軍が自ら駕を枉げて下さい」と進言したからである[2]。
受容
諸葛亮と劉備の逸話は後世の日本にも影響を与えており、例えば木下藤吉郎が竹中重治を配下に加えるくだりで使われている[1]。
画像
- 明の画家戴進が描いた三顧の礼
- 明の時代に描かれた三顧の礼の様子
脚注
- ^ a b c d e 三省堂編修所 (2016), p. 276.
- ^ 渡邉義浩 (2011), p. 166.
参考文献
- 三省堂編修所 編『新明解故事ことわざ辞典』(第2版)三省堂、2016年5月。ISBN 978-4-385-13988-3。
- 渡邉義浩『三国志:演義から正史、そして史実へ』中央公論新社〈中公新書〉、2011年3月。ISBN 978-4-12-102099-4。