喜 (秦)
喜(き、紀元前262年 - 紀元前217年)は、中国戦国時代末期から秦代にかけて秦に仕えた地方官吏。姓は不明。1975年、湖北省雲夢県の睡虎地十一号墓から被葬者と共に出土した睡虎地秦簡[1]の検証の結果、この墓の被葬者で睡虎地秦簡の作成者または所持者と推定された。睡虎地秦簡は彼の経歴と同時期の出来事を中心に記載された「編年記」以外にも、「語書」や「秦律十八種」など当時の秦の法制といった、多岐に渡る記録がされている。
略歴
以下は出土した睡虎地秦簡「編年記」の記載を基とする[2]。
昭襄王45年12月甲午(紀元前262年1月14日)、秦の南郡安陸県(現在の湖北省孝感市安陸市)にて喜が誕生する。
秦王政5年(紀元前243年)、喜は安陸県の令史となる。
秦王政7年(紀元前241年)、喜は鄢県の令史となる。
秦王政12年(紀元前236年)、喜は鄢県の獄吏に就く。
秦王政13年(紀元前235年)、従軍。
秦王政19年(紀元前229年)、喜は南郡の警備・治安関連の役職に就く。
始皇30年(紀元前217年)、喜はこの世を去った。
脚注
- ^ 睡虎地秦墓竹簡、雲夢秦簡とも称される
- ^ 『雲夢秦簡「編年記」について』
参考文献
- 睡虎地秦簡