地壇
地壇 | |
---|---|
| |
各種表記 | |
繁体字: | 地壇 |
簡体字: | 地壇 |
拼音: | Dìtán |
注音符号: | ㄉ|ˋ ㄊㄢˊ |
発音: | ディタン |
地壇(ちだん、満洲語:ᠨᠠ ᠊ᡳ
ᡝᠨ᠋ᡩᡠ᠋ᡵᡳ
ᠮᡠᡴ᠋ᡩᡝ᠋ᡥᡠᠨ、転写:na -i enduri mukdehun[1])は、中華人民共和国北京市東城区の安定門外にある史跡で、明清代の皇帝が地の神に対して祭祀を行った宗教的な場所(祭壇)である。
地壇の真向かいにあるのが、北京の南部崇文門にある天壇である。
土壇は明朝9年(1530年)に建てられた。現在は中華人民共和国全国重点文物保護単位(6-299)に指定されている。
歴史
主要建築
建築の特徴
- 天壇が紫禁城の南東に築かれたのに対して、地壇は紫禁城の北東に築かれており、これは古代中国の天南地北説に符合する。
- 天壇の主な建築が円形であるのに対して、地壇は方形である。これは『大清会典』の述べる「方(四角)は地を表す」に従っており、中国の天円地方の宇宙観を体現している。
- 「天は陽、地は陰とみなす」という陰陽思想に従い、天壇の石塊や、階段、柱などはこぞって奇数(陽数)で構成されている。一方地壇は偶数(陰数)で構成されている。例えば方澤壇の階段は8段であり、壇は6方丈である。使用した石版の数も偶数であり、中華文化を反映している。
廟会
北京で年に一度行われる『春節文化廟会』はここで行われる。
脚注
- ^ 『欽定新清語』