大阪パフォーマンスドール
大阪パフォーマンスドール | |
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別名 | OPD |
出身地 | 日本・大阪府大阪市 |
ジャンル |
J-POP ポップ ロック ハウス デステクノ ヒップホップ ジャズ ソウル レゲエ ラガマフィン |
活動期間 |
1993年4月 - 1997年 2008年(15周年限定復活) 2018年(25周年限定復活) 2023年(30周年限定復活) 2024年(稲葉貴子50歳誕生日記念) |
レーベル |
Cha-DANCE(Epic/Sony Records) エピックレコードジャパン Laugh&Peace Music |
事務所 | 吉本興業(1993年4月 - 1997年,2008年,2018年,2023年,2024年) |
共同作業者 |
中村龍史 清水彰彦(アッキー清水) 今田耕司 東野幸治 RHYMESTER |
公式サイト | offical page |
メンバー |
OPD自然消滅後の第1期ライブメンバー,第2期追加メンバー,第3期追加メンバーの活動状況が不明確なため、F/Unitメンバーのみを記載 武内由紀子 ※リーダー 稲葉貴子 古谷文乃 上田美穂 中野公美子 |
大阪パフォーマンスドール(おおさかパフォーマンスドール、英: Osaka Performance Doll、略称OPD、後に略称そのままのOPDに改称)は、東京パフォーマンスドール(TPD)の姉妹グループとして、吉本興業が大阪府在住の女性を対象としてオーディションを行い1993年4月に結成した女性アイドルグループである。ライブアイドルの先駆けとして大阪府にあった劇場であるうめだ花月を定期公演の会場として活動していた。
当時のアイドルグループとしては先駆け的にダンスボーカルパフォーマンスを行い、TPDと共に後のアイドルグループの原型となった。約800人がオーディションに参加し、最終的に19人の加入が決定した。更にその後の中村龍史の指導による厳しいレッスンにおける評価を経て、上位5人がメディア露出やCDリリースを担うフロントメンバー「F/Unit(エフ・ユニット)」として選出された。大人びた作風のTPDとは異なり、OPDの作風は大阪らしい快活でポップでダイナミックな作風が特徴で、特に初期はディストーションの掛かったエレキギターの音色を積極的に導入してロックの風味付けが行われた曲が多い。そして2ndアルバム以降、当時最先端の様々なクラブサウンドを投入し、アイドルでありながらコアな要素を強めて行った。TPDを発案してプロデュースした中村龍史がOPDでもプロデュースを担当した。AKB48のルーツであるTPD[1][2]の姉妹グループとして大阪を拠点に定期公演を行った点で、同じく吉本興業グループが参与するNMB48のルーツのような存在である。標準語の楽曲が多いが、大阪弁ラップ曲の『あかん!』に代表されるように大阪弁を活用した楽曲もあり、先駆け的にローカルアイドルとしての役割を担っていた。初期はうめだ花月で定期公演を行っていたが、後に定期公演を縮小し、全国ツアーやテレビ番組出演に移行していった。併せて、街頭でのゲリラライブも行った。Wコウジ(今田耕司・東野幸治)との共演でも有名である。TPDと同じく、従来のアイドルにはない数々の先駆的な試みを行った。
略歴
「家から通える芸能界」を合言葉に、大阪府在住者を対象にオーディションを行い1993年4月に結成[3]。メンバーの過去のダンス経験が不足していることもあって暫くの間、デビューに向けた準備として中村龍史の指導の下で非常に厳しいレッスンを行い、実力の評価に基づき厳選されフロントに立つことを許された5人のCDメンバー「F/Unit」と、その他大勢のライブメンバーにふるい分けが行われた。また、デビュー前の段階で数名がOPDを脱退した。1993年8月2日、大阪府大阪市の吉本会館B1Fにあった吉本興業が運営するディスコ「Desse Jenny(デッセ・ジェニー)」でデビュー記者会見を行う[4][5]。続いて1993年8月16日、東京パフォーマンスドールの日本武道館公演の前座で1曲のみではあるがライブパフォーマンスを初披露する。その後、1993年8月21日の「24時間テレビ 愛の歌声は地球を救う16」への出演を経て、1993年10月9日には活動初期の定期公演の会場となるうめだ花月で初ワンマンライブ「Dance Re-Mix」[6]を行い、メディア露出やライブ活動を継続した。1994年3月~4月、F/Unit+2(F/Unitに重元直美と中村亜紀を追加)という限られたメンバーであるが、初のライブツアーとなる「Spring Tour '94」を東名阪で開催[7]。1994年5月以降、大阪で毎週土曜日にストリートゲリラライブを開催[7]。更には1994年8月25日にOPD初の海外ライブとして、上海で上海パフォーマンスドール(SPD)のメンバーを最終決定するオーディション番組[8](日本でも放送)にTPDと共に出演し、最終決戦で選ばれたばかりのSPDと競演した[7][9]。1995年11月3日には大連に赴いて再度SPDと競演している[10][11]。また、1994年6月22日に発売した「チェリー・パレード」と「あかん!」ではラップパートを初導入、1994年11月2日に発売した「So BLUE So Funny」という曲ではヒップホップグループであるRHYMESTERとのコラボレーションを行い、当時の女性アイドルグループとしては珍しいヒップホップ曲を制作している。しかし、デビュー時点で第二次アイドル冬の時代に突入していたためCDの売れ行きは芳しく無く(最高でもデビューシングルのオリコンランキング57位)、1994年末以降はオリコンランキング圏外が連続するようになり、次第に個々の活動が目立つようにもなった。オリコンランキングの順位が振るわなくなった時期である1994年10月1日から1995年3月16日にかけては、売れないアイドルを集めた特別番組である『今田東野ナイナイの芸能界ダメならぬがねば!!』と後継深夜番組の『天使のU・B・U・G』に出演し、武内由紀子が日直MCを務めた際にメンバー自身がCDの売上枚数が厳しい状況にあることを伝えている。1996年には名称を略称そのままの「OPD」に改名し、3月30日の東京 ON AIR EAST(現Spotify O-EAST)公演をもって第1期F/Unitの古谷文乃と稲葉貴子(後の(s)pirit colorメンバー)が卒業し、その後に第2期として大幅なメンバー・チェンジを行なったものの、1997年に自然消滅(当時は公表していないが、よしもと大博覧会の出演前に最後のライブ出演を通告され、定期的に行っていたダンスレッスンも何の前触れもなく無くなったとのこと)という形になった[12]。1996年頃にゴスペラーズと共演したこともある[13]。事実上の最終ワンマンライブは、1996年6月11日~13日,16日の4日間で東名阪と福岡を巡るOPD SPECIAL LIVE COLLECTION 「♂(ボーイ)と♀(ガール)はマグネット。ピタッ!」という、ハガキ抽選による招待制ライブツアーの最終日公演で、その後は自然消滅までの間、細々と東京ドームで開催された「よしもと大博覧会」に出演したのみである。しかし、リーダーの武内由紀子によれば、解散は明言していないため、OPDの存在自体については中途半端な状態が継続しているとのことである[14]。グループとしての活動は殆ど無くなったが、OPDのメンバーはデビュー30周年の2023年に至るもLINEグループで常時情報交換を行っており、「家族」として助け合う関係性を維持している[15]。1990年代の第二次アイドル冬の時代にあって、努力の甲斐もなく、J-POP全体から見た人気度で言えばB級的な立場にあったTPDよりも更に人気が低く冷遇[16]されたため、メンバーにおいては非常に辛い思い出となっており、活動再開についてはかなり消極的である。過去の復活としては、リアルタイムにOPDを体験したファン向けの復活トークイベントが2018年[17]の1度,復活ライブが2008年[18]と2023年[19]に2度行われたのみである。但し、(s)pirit colorのライブでは会場の近くに住んでいるメンバーをゲストに呼んで1~2曲ほど歌唱することはある。
また、リーダーを務めた武内由紀子の述懐によると、既に活動実績がある東京パフォーマンスドールと比較して扱いは低く、衣装などの嵩張る荷物であってもボストンバッグに詰めて自分たちで運ぶ必要があり、また移動は全て鉄道であり、衣装はパジャマのような簡易なものが用意されるかあるいは本家の東京パフォーマンスドールで着古した衣装を借りることが多かったと言う[14]。
OPD単独のライブやMVを収録した映像作品は発売されておらず、資料用の記録映像を確認できる関係者か、リアルタイムでライブを体験したファン以外がOPD単独としてのパフォーマンスを観ることは不可能である。但し、前座として出演した1993年8月17日のTPDの武道館ライブ「Thats The Revue」の映像作品には、舞台裏での姿のみが僅かに収録されている[20]。また、1994年8月7日のTPDの横浜アリーナライブである「That's the REVUE 1994」の映像作品である「VIDEO Cha-DANCE Vol.12」でもOPDメドレーとバックダンサーとしてのパフォーマンスが確認できる[21]。公式に発売された現役時代のOPDの映像は、前述の2点のみとなる。後に映像の商品化の要望は寄せられているが、現役当時の単独ライブの映像はVHSのため品質が悪く、30周年限定復活ライブの映像はホームビデオによる正面1カメラのみで収録されていたりと、商品化には難のある映像しか残されていないため実現していない。
限定復活
1990年代からのファンのために限定復活を行っているが、メンバーの家庭が忙しいだけでなく準備の負担も大きいため相応の理由が必要であり、復活の間隔はかなり長くなっている。
いつも古谷文乃の家にOPDメンバーが集まって食事会を行うほど仲が良く、その会話の中で復活の話が度々持ち上がるとのことである[22]。
- 2008年、デビュー15周年記念として『2008限定 大阪パフォーマンスドール夏祭り!!〜15年目の夜だから〜』で、11年振りのライブを開催した。メンバーは、武内由紀子,稲葉貴子,古谷文乃,上田美穂,中野公美子,重元直美の6名。[18]
- 大阪公演(8月9日(土)、うめだ花月)
- 東京公演(8月17日(日)、SHIBUYA BOXX)
- 2008年8月13日(水)、「満月の夜だから」 「恋がまぶしくて」 「笑顔に大接近」の着うた、着うたフルが配信された。
- 2009年1月11日(日)、期間限定復活を記念してソニーミュージックショップの「オーダーメイドファクトリー」にて、OPDの全楽曲が収録された3枚組のCDアルバム『OPD ALL SONGS COLLECTION』が発売された。
- 2018年8月31日(金)、結成25周年を記念し、OPDトークイベント『25年目の夜だから~喋るで!歌わへんで!~』が渋谷で開催された[17]。ライブは行わなかったが、中野公美子のみはライブを熱望していた[23]。
- 2023年、結成30周年を記念してOPDが7月21日(金)[24]から11月18日(土)[25]までの期間で限定復活し、タワーレコードとのタイアップで下記のような過去に無い規模の大型企画を展開した[26][27][28]。復活の経緯としては、東京在住のメンバーが古谷文乃の家に度々集まっており、その際に30周年の復活が決まったということである[23]。なお、武内由紀子と古谷文乃が、加齢に伴う体力の低下からOPDとしてのライブパフォーマンスは今回の限定復活が最後であることを予告している[29][30]。ライブとミニトーク&サイン会は東京のみでの開催であったため、関西からもファンが駆け付けた。
- デビューシングル発売日と同じ11月1日(水)(タワーレコード渋谷店とタワーレコード梅田NU茶屋町店の店頭では10月31日(火)11:00)に約27年振りの新曲「ナツカ セツナ」をリリース(歌詞に用いる「キュン」とするワードとミュージック・ビデオに用いるOPD関連の昔の画像をSNSで募集)。「ナツカ セツナ」はシンガーソングライターとしての活動経験があるメンバーの古谷文乃がプロデュースを担当[31]し、古谷自身は「キーワードは『キュン』で」とした上で「あの頃を思い出して頂いてキュンとなるような、懐かしい感じがいいのかなと思っています」とコンセプトを語っている。OPD復活発表後に、歌詞に使う「切な懐かしい」キーワードをXのダイレクトメッセージで公募した[32]。10月9日(月)午前1:57頃、新曲リリースに先立って「ナツカ セツナ」という新曲の名前と全ての歌詞がSNSで発表された[33][34]。
- 11月1日(水)には全ての過去楽曲を配信で再リリースした[35]。
- 10月31日(火)から11月19日(日)にかけてはタワーレコード渋谷店3階で「OPD POP UP SHOP」を実施[36][37]し、同期間はタワーレコード梅田NU茶屋町店でもオリジナルグッズの販売を行う。販売するM∞CARD+オリジナルグッズは下記の通りである[26]。M∞CARDに収録されるMVは、OPDとしては一般流通が初めてとなる単独での映像作品である。
- 10月31日(火)から11月12日(日)にかけては特典会のミニトーク&サイン会の開催のために、タワーレコード渋谷店限定でM∞CARD+対象グッズ3,000円以上のセットでの購入者に対して1人1会計1枚の「イベント参加抽選券」とセット数分の「サイン会参加券」を配布する。「イベント参加抽選券」については11月14日(火)18:00頃にタワーレコード渋谷店のホームページかSNSで当落が発表される[26]。
- 11月11日(土)にはタワーレコード渋谷店B1階のCUTUP STUDIOでのライブ『OPD 30th × TOWER RECORDS Premium Live〜30年目の夜だから〜』(運営者の都合により東京の14:00開演,18:00開演の全2回公演のみ[38])を開催した[39][40]。
- 11月15日(水)12時台にはラジオ大阪『OBCグッドアフタヌーン!』に古谷文乃,上田美穂がゲスト出演[41][42]し、その後にタワーレコード梅田NU茶屋町店の「OPD POP UP SHOP」を訪問する。
- 11月18日(土)には「イベント参加抽選券」の抽選当選者を対象に、特典会のミニトーク&サイン会をタワーレコード渋谷店5階のイベントスペースにて1部は12:45から,2部は14:00から行う[43][44]。サイン会では運営が用意するポストカードもしくは購入したポスターを持参した場合はポスターにサインを行う[43]。ミニトーク&サイン会の終了をもってOPDは活動を再度停止する[25]。
- 2024年3月16日(土)、稲葉貴子の50歳の誕生日を記念するイベント『稲葉貴子 バースデーライブ ’24 〜Ultra Attchu Fes!〜』の一部において、東京在住の稲葉貴子,古谷文乃,武内由紀子,中野公美子の4名でライブを行う[45]。
メンバー
総勢20名程度のメンバーが居るが、その中にも「CDメンバー」と「ライブメンバー」の区別がある。
第1期
F/Unit
下記5名はデビューに向けた中村龍史の指導による厳しいレッスンの過程で選抜されたCD制作・マスメディア露出を行う「CDメンバー」で、5人の名字の頭文字を取り、英単語としての意味が通るように並べ替えて「F/Unit(エフ・ユニット)」と称した。レッスンの過程で見極められた最も実力があるメンバーであるため、ライブでもフロントメンバーの役割を担った。発売された作品には標準語の楽曲が多いが、日常会話では全員が大阪弁を用いている。各々家庭が忙しいが、グループの自然消滅後も元メンバー同士での「親戚家族」のような交流は続いている[19][46][47]。グループの自然消滅後は上田美穂を除いて東京在住であり、大阪で活動するグループという意味合いは薄れている。
- 武内由紀子(1973年3月19日(51歳))
- 1993年から吉本興業所属[48]。グループで最年長であり、リーダーを務めた[49]。通称は「ゆっこ隊長」[50]。最年長としてOPD全体のまとめ役を担い、最前面に立ち続けた。子供の頃からの夢であるアイドルになるため、中学から短期大学までの期間で様々なオーディションに申し込んでいたが全て書類選考で落選し、アイドルデビューを目指すという意味で当時の平均からするとかなり高齢となる19歳[51]の時に最後の望みとしてOPDのオーディションに申し込み採用された。その後、最年長のためリーダーに抜擢されるも内気な性格であったため一度は辞退。しかし直後に吉本興業の社員だった大﨑洋が挙手制に変更した結果、皆が積極的に手を挙げる様子を見てまずいと感じ、自ら挙手してリーダーになることを希望した[49]。更にはフロントメンバーに選抜されるに至った[52]。正式なデビュー後はリーダーとして最多のマスメディア露出を行い、常に最前面に立ち、斬り込み隊長・広報部長[53]のような立場で様々な企画で体を張ってOPDをアピールした。また、ソロアルバムも発売した。後に「WEST END×YUKI」に参加し、シングルの「SO.YA.NA」が約50万枚の大ヒットを記録[54]し、全国的な知名度を獲得した[55][56]。また、GEISHA GIRLSの作品制作にもMC YUKIとして参加した。アイドル時代は大阪在住でソロ活動のために東京に出張[57]していたが、アイドル卒業後は東京に移住して大阪に出張しながら[58]女優業に取り組み、ルミネtheよしもとでの吉本新喜劇や舞台、ドラマなどで活動。また、NHK大阪放送局の情報番組『夕方5時ですとっておき関西』のキャスターを務めたり、読売テレビ『大阪ほんわかテレビ』のリポーターをする等している。2001年9月、一般男性と結婚したが、2007年12月3日に離婚。2013年3月19日、40歳になったことを記念し、3年間交際していた、7歳年下のパン職人の男性(2017年11月9日に東京都大田区山王に「BAKEMAN」を開業[59][1]した中込直(なかごめただし)[60][61])と結婚。2015年には「BAKEMAN」開業に備えてパンシェルジュ3級を取得[2]。不妊治療の成果が上がらず男児1人と女児1人の養子を迎えざるを得なくなり、特別養子縁組についての情報発信も行う[62]。また、他の吉本所属芸能人とオンラインサロンの「ママ部」を共同運営する[63]。東京在住。
- 稲葉貴子(1974年3月13日(50歳))(1996年3月30日脱退)
- グループで上から2番目の年長者で、リーダーと同じくグループ内でのまとめ役を担った。F/Unitの中で最もダンスパフォーマンスに長けており、芸能デビュー以前よりダンサーの両親の下でジャズダンス教室に通うなどして体系的にダンススキルを身に着けていた。以降も一貫してダンスボーカルのプロフェッショナルとして活動し、また楽曲制作やイベント運営の表から裏まで立場を問わず精力的に仕事を行ったため、業界内でも一目置かれる存在となっている。OPDの現役時代はコンピュータゲーム好きという側面を公表しており、ファミコン通信が監修するゲーム番組『ゲームカタログⅡ』にもレギュラーとして出演した[64]。1993年に吉本興業に所属後に「太陽とシスコムーン」→「T&Cボンバー」に吉本興業所属のまま参加し、同ユニット解散後はアップフロントエージェンシー(現:アップフロントプロモーション)に移籍し、2009年3月までハロー!プロジェクトの最古参メンバーとしてサブリーダー的な立場で他グループの振り付けやコーラス参加などでも活動して幅広い人脈を持つに至った(その活躍ぶりはつんく♂も稲葉を頼りにするほどであった)。その後はサポートする側の立場を希望したことでタレント活動を終了し、アップフロントグループ内にある別会社のスタッフとなった[65]。2014年7月、古谷文乃とともに昭和歌謡をカバーする音楽ユニット「Pirit color(ピリットカラー)」(2020年1月に(s)pirit colorに改名[66])を結成[67]して東京都内で活動中。また、太陽とシスコムーンの復活ライブや舞台女優としての出演などの活動も開始し、フリーの立場で表舞台に復帰した。東京在住。
HIGH-SCHOOL TRIO
F/Unitの現役時代において下記3名は同年齢の高校生であったため、HIGH-SCHOOL TRIOというサブユニットとして扱われることがあった(例えば1stアルバム『d-Culture』の歌詞カードの歌唱順における表記など)。
- 古谷文乃(1977年8月6日(46歳))(1996年3月30日脱退)
- 1993年から吉本興業所属[68]。F/Unitの中で最も音楽制作スキルに長けており、元々好んで行っていた歌唱の他に、ピアノ,エレクトーン(OPDデビュー時点でYAMAHAエレクトーン・グレード6級を取得済み),ドラム(少しだけ)を特技とし、OPD在籍中にも大阪デビューライブ「Dance Re-Mix」における「Fairy Days」の弾き語りを行ったり、作詞・作曲を行ってライブ限定で小作品を発表するなどしていた。1992年8月6日に日本全国で12,072名が参加するNEW MOMOCO グランプリで上位5名の受賞者に選ばれた中でも「審査員特別賞」(当時の桃組出席番号は3403番)を取り、雑誌「Momoco」でグラビアデビューを果たした後に、学研の社員に推薦されてOPDに加入した。OPD脱退後も吉本興業への所属を継続し、シンガーソングライターに転身した。DRAMATIC BLUE BIRD → Long path echoを経てソロに転身し、ayano名義でピアノ演奏のスキルも活かしながら東京都内のライブハウスでライブを行う。また、並行してピアノ教師としての仕事も行った(今田耕司の年越しピアノ演奏企画にも携わっている[69])[70]。2014年7月には、稲葉貴子とともに昭和歌謡をカバーする音楽ユニット「Pirit color(ピリットカラー)」(2020年1月に(s)pirit colorに改名[66])を結成[67]して東京都内で活動中。30代前半まで自由にソロ活動を行っていたが、2010年に同業のシンガーソングライター(種浦マサオ)と結婚し、2015年以降は2児の母となったため、以降は家庭中心の生活を送っている。自宅では普段からOPDメンバーが集まって食事会を行うなど、OPDメンバーの絆を維持するキーパーソンとなっているとのこと[23]。また、上田美穂とは同じ高校の同級生で、OPDオーディション当時から友人関係が続いている。東京在住。
- 上田美穂(1977年12月14日(46歳))
- 中野公美子(1977年3月3日(47歳))
F/Unit+2追加メンバー
以下の2名はF/Unitメンバーではなく「+α」としての扱いであるが、1994年からF/Unitと同様にメディア露出や東名阪ライブツアーやCD制作に参加するようになった(この7名のグループは「F/Unit+2」と称した)。
- 重元直美
- 中村亜紀
ライブメンバー
以下のメンバーはライブを中心に活動。
- 村岡美香(1994年脱退)
- 鈴木里佳(1994年脱退)
- 西村奈保美(1994年脱退) - 演歌歌手として活動後、嫁ぎ先でパン販売業を営んでいる。
- 松本淳子(1995年脱退) - 息子はDDTプロレスリング所属のプロレスラー・夢虹[76]。
- 梶本愛 - 後に吉本新喜劇に入団後、寿退団。
- 坂田朗子 - 後に吉本新喜劇に入団。2000年頃退団。
- 竹下恵理
- 西元康恵
- 山野香恵 - 吉本退社後に、多聞福音教会で受洗してクリスチャンとなり、ゴスペルシンガーとして、西日本を中心にプロテスタント教会でコンサートを開いている。また、関西を拠点とする「劇団パロディフライ」にも参加していた。
第2期
※1996年3月30日の古谷文乃と稲葉貴子の卒業に伴い、メンバー構成が変更された。メンバーは第1期F/Unitの3人(武内・上田・中野)に加え、F/Unit+2で追加されていた以下の2人。メンバーの名前の頭文字が変わったため、第1期にあった「F/Unit」という名称は廃止されたが、「F/Unit」に代わるフロントメンバー用の名称が付けられる事はなかった。
第1次追加メンバー
第2次追加メンバー
- 森宏子(1994年脱退) - 第2回『ミスヤングマガジン』でグランプリに選ばれ、「森ひろこ」としてグラビアタレントとして活動。
- 河本奈津子 - 「奈津子」として2000年4月にソロデビュー。シングル4枚をリリース。
- 大山ルミ - キーヤキッス追加メンバーとして解散まで所属。「Dydo MIU Racing Team」のキャンペーンガールとして活動。その後妹とともに大山姉妹として活動。
第3次追加メンバー
- 大山恵理乃 - 実姉・大山ルミと同じく、後に「キーヤキッス」→「大山姉妹」として活動。
- 松本美由紀
- 南田千鶴 - 『MAXハニー』(奈良テレビ・三重テレビ)のメンバーやビクトリーチャンネルに出演。
- 宮内潤子
- 森田有子
- 山本美子 - 後に「YOPPY」としてモデルやタレント業の他、バンド「THE★SCANTY」を結成。その後ブランドショップを経営。
CD
下記作品は、CDデビュー30周年となる2023年11月1日にベストアルバム『OPD ALL SONGS COLLECTION』を除いてネット配信済み[77]。
シングル
# | 発売日 | タイトル | カップリング | 規格 | 規格品番 | 最高位 | 特記事項 |
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1 | 1993年11月1日 | 満月の夜だから | 生まれた街のフェンスを越えて | 8cmCD | ESDB-3428[78] | 57位 | デビューシングル |
2 | 1994年3月21日 | 恋がまぶしくて | コンビニ・ウォーリアーズ | 8cmCD | ESDB-3462[79] | 100位 | - |
3 | 1994年6月22日 | チェリー・パレード | あかん! | 8cmCD | ESDB-3490[80] | 100位 | 両作ともOPD初のラップ曲
カップリングの大阪弁ラップ曲『あかん!』は方言ラップとして先駆け的な作品(大阪弁ラップの先駆者として有名な脱線3は話題作の『バチルカ』を『あかん!』より1ヶ月遅れた1994年7月21日にリリース) |
4 | 1994年11月2日 | Lady Boy[81] | So BLUE So Funny | 8cmCD | ESDB-3534[82] | 圏外 | 前作よりも本格的なヒップホップ作品
カップリングではRHYMESTERとのコラボレーションも実現 Lady Boy はテレビ東京系アニメ『ミュータントタートルズ』エンディングテーマ |
5 | 1995年2月1日 | 笑顔に大接近 | CARNIVAL | 8cmCD | ESDB-3542[83] | 圏外 | 笑顔に大接近 はNHK『みんなのうた』で使用(1994年12月-1995年1月、1995年12月-1996年1月)。番組内では西内としお作画のアニメーション映像が使用され、メンバーをモチーフにした5人の女性が登場している。 |
6 | 1995年7月21日 | Shiny Days | 真夏のドア | 8cmCD | ESDB-3583[84] | 圏外 | - |
7 | 1996年2月21日 | 素敵になりたい | しあわせになろう | 8cmCD | ESDB-3648[85] | 圏外 | 第1期F/Unitとしての最終シングル |
8 | 1996年6月1日 | 泣きたいッ | あれってね それってね | 8cmCD | ESDB-3680[86] | 圏外 | ラガマフィンというレゲエのサブジャンルを導入
第2期として唯一かつOPDの現役時代の最終シングル |
9 | 2023年10月31日 | ナツカ セツナ | - | M∞カード | OD004-01[87]
OD004-02[88] |
圏外 | 30周年記念でリリースする27年ぶりの新曲
OPD初のセルフプロデュース作品 OPD卒業後にシンガーソングライターとして活動する古谷文乃がプロデュースを行った。 キーワードは『キュン』 歌詞の一部に「ファンの皆さん」からOPD公式Xアカウントに対してダイレクトメッセージで寄せられた「切な懐かしい」ワードを使用 公式(古谷文乃が考案)の略称は「ナツセツ」 製品仕様 絵柄2種 各1,600円(税込) 新曲の音源は96kHz/32bit floating-pointのWAVファイルで配信されているため、初のハイレゾ作品となる。 |
アルバム
# | 発売日 | タイトル | 規格 | 品番 | 収録曲 | 参加OPDメンバー | 最高位 | 特記事項 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1st | 1994年7月1日 | d-Culture | 12cmCD | ESCB 1492[89] |
|
第1期・F/Unit | - | |
2nd | 1995年8月21日 | NONG! | 12cmCD | ESCB 1651[90] |
|
第1期・F/Unit+2 | - | |
3rd | 1996年7月21日 | Magnet | 12cmCD | ESCB 1768[91] |
|
第2期 | - | |
Best | 2009年1月11日 | OPD ALL SONGS COLLECTION | 12cmCD | DYCL-117[92] | [DISC:1]
[DISC:2]
[DISC:3]
|
楽曲により下記の何れかのグループが参加
第1期・F/Unit 第1期・F/Unit+2 第2期 |
全曲デジタルリマスター |
タイアップ
曲名 | タイアップ | 収録作品 |
---|---|---|
満月の夜だから | 日本テレビ系『発明将軍ダウンタウン』テーマ曲[93] | シングル「満月の夜だから/生まれた街のフェンスを越えて」 |
生まれた街のフェンスを越えて | JOYSOUND CFソング | |
恋がまぶしくて | 日本テレビ系『発明将軍ダウンタウン』テーマ曲 | シングル「恋がまぶしくて」 |
PARCOスーパーバザール CFソング[94] | ||
Lady Boy | テレビ東京系アニメ『ミュータントタートルズ』エンディングテーマ | シングル「Lady Boy」 |
笑顔に大接近 | NHK『みんなのうた』放送曲 | シングル「笑顔に大接近」 |
出演
下記は一部を除いて第1期F/Unitのみが出演している。
テレビ
- 24時間テレビ 愛の歌声は地球を救う16(1993年8月21日、日本テレビ)
- 今田東野ナイナイの芸能界ダメならぬがねば!!(1994年10月1日、フジテレビ)
- 天使のU・B・U・G(1994年10月13日 - 1995年3月16日、フジテレビ)
ラジオ
- MBSヤングタウン「はなまるフライデースペシャル」(MBSラジオ)
- サタデーホットリクエスト(NHK-FM)
CM
- JOYSOUND (1993年・1994年)- JOYSOUNDシリーズの最初期のCMに出演。「カラオケ歌い隊 by O.P.D」(CMソングはOPDの「生まれた街のフェンスを越えて」,キャラクター設定として武内由紀子は「ユキコ隊長」で特技は「「新曲」歌いまくる。」、稲葉貴子は「アツコ隊員」で特技は「「メドレー」で歌いまくる。」、古谷文乃は「アヤノ隊員」で特技は「「8時間耐久カラオケ」で優勝。」が存在),「カラオケ歌い隊DX」(CMソング「カラオケならOK」を担当した嘉門達夫も出演)として登場(両者共にオリコンウィークリーの雑誌広告としても掲載(3種類が存在))
- エキスポランド(CMソング: チェリー・パレード)(1994年)
- 近畿日本鉄道「伊勢神宮初詣」(CMソング: 恋がまぶしくて)、「夏の伊勢志摩」(CMソング: 真夏のドア)(1995年)
- 関西版 TVぴあ 年末年始超特大号(1993年)(ライブメンバーも含めた全員が出演)
ゲーム
- 爆笑!!オール吉本クイズ王決定戦(1995年3月17日、3DO)
- 爆笑!!オール吉本クイズ王決定戦DX(1995年12月1日、SS)
- 爆笑!!オール吉本クイズ王決定戦DX(1995年12月15日、PS)
雑誌掲載
記事掲載が行われた主な雑誌を列挙する。
- オリコン・ウィークリー(その時々の活動について掲載)
- 近代映画(その時々の活動について掲載)
- ホットドッグ・プレス(TPDとOPDの集合写真や個別の写真などを掲載)
- ザ・テレビジョン 首都圏・関東版 1994年11月25日~1994年12月2日(2週連続企画,F/Unitの各メンバーの個性について特集している)
- スーパーかんたん かわいいかぎ針あみセーター(1994年8月1日発売,日本ヴォーグ社,編み物の作例集であるが事実上唯一のOPD写真集となっている)
CMソング
- ロート製薬 オープニングキャッチ(2代目,1993年 - 1996年に放映)
脚注
- ^ a b utamapnews (2014年6月19日). “アイドルグループの時代を先取りした元祖・東京パフォーマンスドール、'90年代の関連タイトル約600曲が一斉に配信スタート!”. うたまっぷNEWS. 2023年9月23日閲覧。
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- ^ 木村政雄の私的ヒストリー|木村政雄の事務所
- ^ 『Momoco(モモコ)1993年10月号』学習研究社、1993年10月1日、91頁。
- ^ “大阪 DESSE JENNY (デッセジェニー)吉本が運営していたディスコ コレクション | Club & Disco ミュージアム”. disco-memory.net (2019年11月8日). 2024年2月26日閲覧。
- ^ TPD楽曲のカバーを主体とした定期公演
- ^ a b c 『ザ・テレビジョン 首都圏関東版 No.47 1994年11月25日号』角川書店、1994年11月25日、16-17頁。
- ^ 1994年7月6日~8月25日にかけて上海で行われたオーディション(上海歌舞麗人募集)の最終日である。
- ^ “木村政雄の事務所”. www.km-jimusho.com. 2023年10月3日閲覧。
- ^ “Instagram”. www.instagram.com. 2023年9月23日閲覧。
- ^ 当時、オフショットとして上海パフォーマンスドールとの写真を撮影している。
- ^ “大阪パフォーマンスドール”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード (2018年2月7日). 2019年11月23日閲覧。
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- ^ オリコンランキング圏外を連発するほど人気がなく、「C級アイドル」を集めた天使のU・B・U・Gへの出演を余儀なくされ、芸人との共演で笑いのネタにされるなど酷い扱いを受けていた。また「TPDのパクリ」という扱いをされていた。
- ^ a b “大阪パフォーマンスドール、売れなかった理由は仲の良さ? 8・31に渋谷でトークライブ開催”. ORICON NEWS. 2023年9月24日閲覧。
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- ^ 本家にあたるTPDのフロントメンバーである穴井夕子もコンピュータゲーム好きという側面を公表しており、ゲーム番組にも出演していた。
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- ^ “泣きたいッ | OPD”. ORICON NEWS. 2024年1月8日閲覧。
- ^ “OPD/ナツカ セツナ M∞CARD [ミュージックカード]<A-Type>”. tower.jp. 2024年1月8日閲覧。
- ^ “OPD/ナツカ セツナ M∞CARD [ミュージックカード]<B-Type>”. tower.jp. 2024年1月8日閲覧。
- ^ “d-Culture | 大阪パフォーマンスドール”. ORICON NEWS. 2024年1月8日閲覧。
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- ^ “Magnet | OPD”. ORICON NEWS. 2024年1月8日閲覧。
- ^ “SonyMusicShop”. SonyMusicShop. 2024年1月8日閲覧。
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- ^ “恋がまぶしくて | 大阪パフォーマンスドール”. ORICON NEWS. 2024年1月8日閲覧。
関連項目
- 東京パフォーマンスドール
- 上海パフォーマンスドール
- 工藤順子 - 作品提供
- ロート製薬 - オープニングキャッチ(2代目)のコーラスを1993年 - 1996年まで担当した。
- NMB48 - 吉本興業グループが参与する大阪を活動拠点とする女性アイドルグループ
外部リンク
- 大阪パフォーマンスドール‐ソニーミュージックによるサイト
- オーダーメイドファクトリー 大阪パフォーマンスドール
- 大阪パフォーマンスドール (@OPD199311) - X(旧Twitter)
- 大阪パフォーマンスドール (@opd199311) - Instagram
- Osaka Performance Doll Discography | Discogs - Discogsという音楽に関するデータベースウェブサイト