孔斌

孔 斌(こう ひん、紀元前3世紀後半ごろ)は、中国戦国時代末期の宰相[1]孔子の子孫。子順[2][3]または子慎[4][2]または[2]または[2]など諸説あり。父は孔穿[2]、子に孔鮒

史記』孔子世家や『漢書孔光伝などの孔家系譜に名前が載っているが、文献によって名や字に相違がある[4]

孔叢子』第15篇から第17篇(陳士義篇・論勢篇・執節篇)に主役として登場する[3]。魏王の招聘を受け入れ、孔子以降の孔家で初めて宰相となった[5]。魏相として、賢者の登用(尚賢)や反政策を講じ[5]に遊説して反秦一致を促し[6]、趙の軍師も務めた[5]

関連項目

脚注

  1. ^ 南部 1994, p. 20;23.
  2. ^ a b c d e 成田 1932, p. 164.
  3. ^ a b 南部 1994, p. 20.
  4. ^ a b 伊東 1998, p. 180-183.
  5. ^ a b c 南部 1994, p. 23.
  6. ^ 成田 1932, p. 168.

参考文献