学閥
学閥(がくばつ)とは、特定の職域や組織において、ある学校の出身者同士が形成する校友組織や派閥互助組織。
概要
学閥には、組織の長の出身学校によって規定される場合や、長年の慣行から強化・維持されている場合などがある。学閥に係わるのは、必ずしも伝統校や学力上位校に限らず、ある地域や職種において影響力が強い学校であることもある。その領域において大きな勢力を発揮することも多く、有力な学閥に属している者は組織の中で優遇されることも多い[1]。 学閥の勢力が強まり、周囲への支配色を持つまでになると「学閥支配」といった言い方がされることもある。学閥を構成しているのは主に名門大学(大学院)だが、地方を中心に名門高校出身者の学閥がある。校長・教頭人事にも大きな影響力があったとする研究がある[1][2]。
政界では各大学の国会議員数の統計や地方議員数、知事や市長などの首長を輩出していることへの各大学の実績が評価される。[要出典]
官界で東京大学法学部出身者が官僚の合格者数で実績がある。官界では東京大学の学閥だけ特別に力があるので東大出身者が有利となり、官僚の出世を左右している。公務員や司法試験の合格者数の統計が良い大学も評価される。[要出典]
財界の学閥では、中小企業の経営者数の統計から、上場企業の経営者や役員数の統計が、マスコミの報道や、教育関係雑誌や経済関係雑誌の調査で輩出上位の大学が明らかにされている。学閥勢力の強弱が時代によって変動があるものの、学閥の特集として、社長数や役員数などの学閥勢力の統計がマスコミによって発表されている[3]。
芸能界、スポーツ界などにも学閥が存在し、その分野での地位に大きく影響することがある。[要出典]
日本における著名な学閥の例
国公立大学
- 赤門閥 - 東京大学出身者の学閥(官界・政界・財界・学界[4])
- 鉄門閥 - 東京大学医学部出身者の学閥(医学界[5])
- 京大閥 - 京都大学出身者の学閥(官界・関西財界・学界〈京都大学土木会〉[4]・医学界[5])
- 如水閥 - 一橋大学出身者の学閥(財界[4]・官界)
- 茗渓閥 - 筑波大学出身者の学閥(教育界)
- 凌霜閥 - 神戸大学出身者の学閥(関西財界)
私立大学
- 三田閥 - 慶應義塾大学出身者の学閥(財界・政界[6])※国内最古の大学同窓会
- 三四閥 - 慶應義塾大学医学部出身者の学閥(医学界[5])
- 稲門閥 - 早稲田大学出身者の学閥(政界〈早稲田大学雄弁会〉・言論界[4])
- 白門閥 - 中央大学出身者の学閥(法曹界・政界〈中央大学辞達学会〉[6])
- 桜門閥 - 日本大学出身者の学閥(建設業界[7])
- 院友閥 - 國學院大學出身者の学閥(神道界[8])
- 館友閥 - 皇學館大学出身者の学閥(神道界[8])※神職#神社界における学閥も参照。
海外における著名な学閥の例
- イギリス
- フランス
- 米国
脚注
- ^ a b 田村武夫、「教師の人事配置にみられる学閥の存在形態」『教育学研究』 30巻 3号 1963年 p.215-226, doi:10.11555/kyoiku1932.30.215
- ^ 井深雄二、「地方分権改革と教育行政秩序の変容 : 愛知県犬山市の教育改革に関する一考察(<特集>国家の教育責任と地方分権 : 「学校」の変貌を問う)」『教育学研究』 71巻 2号 2004年 p.188-201, doi:10.11555/kyoiku1932.71.188
- ^ 如水会 三田会 稲門会……就活にどれだけ有利?日本経済新聞 2016年3月10日
- ^ a b c d “学閥(がくばつ)とは”. コトバンク. 朝日新聞出版. 2020年8月6日閲覧。
- ^ a b c “東大、慶應も凋落の衝撃 医学部ヒエラルキーの崩壊”. 文春オンライン. (2018年3月22日) 2020年11月10日閲覧。
- ^ a b “子を"上流"に乗せる 学閥の強い大学10選 "三田会"の慶應はダントツの結束力”. PRESIDENT Online(プレジデントオンライン). 2021年6月13日閲覧。
- ^ 【日刊SPA!】日大・田中前理事長の逮捕で考える「桜門閥」。卒業生120万人、圧倒的な数の力2021年12月14日
- ^ a b 年輪を重ねて―明治生まれの神職は語る. 神社新報社. (1992年3月1日)
関連項目
- シープスキン効果
- 学歴フィルター
- 医局(医学部において学閥のような役割もある)
- 学士会(旧帝大出身者の交友倶楽部)
- 大学ブランド
- 派閥 - 閨閥 - セクト
- 社会問題 - 縁故資本主義
- オールド・ボーイズ・ネットワーク
外部リンク
- 新堀通也、「日本の比較教育学の研究方法上の諸問題 -教育社会学的アプローチ- (個人的研究体験を基礎として)」『日本比較教育学会紀要』 1975巻 1号 1975年 p.17-22, doi:10.14884/jces1975.1975.17