宇和川村
うわがわむら 宇和川村 | |
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廃止日 | 1943年4月29日 |
廃止理由 |
新設合併 河辺村、宇和川村、大谷村 → 肱川村 |
現在の自治体 | 大洲市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 喜多郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,366人 (国勢調査、1940年) |
隣接自治体 | 河辺村、大谷村、大川村、天神村、御祓村 |
宇和川村役場 | |
所在地 | 愛媛県喜多郡宇和川村大字宇和川 |
座標 | 北緯33度29分21秒 東経132度41分10秒 / 北緯33.48911度 東経132.68603度座標: 北緯33度29分21秒 東経132度41分10秒 / 北緯33.48911度 東経132.68603度 |
ウィキプロジェクト |
宇和川村(うわがわむら)は、愛媛県喜多郡にあった村。現在の大洲市の南東部、肱川と小田川の合流点の上流にあたる。
地理
歴史
- 1889年(明治22年)12月15日 - 町村制の施行により、名荷谷村・中居谷村および宇和川村の大部分の区域をもって発足。
- 1943年(昭和18年)4月29日 - 河辺村・大谷村と合併して肱川村が発足。同日宇和川村廃止。
人口
経済
産業
- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、宇和川村の篤農家は「福山安逸」のみである[2]。
- 企業
- 合資会社谷本商店[3] - 本店又は主な事務所所在地・宇和川村大字名荷谷。主な業務・酒類販売業[3]。代表者・谷本猪三郎[3][4]。谷本猪三郎の父清太郎(1877年 - ?、酒造業)は1915年3月、村会議員に当選[4]。1921年より豫州醸造取締役に就任[4]。
地域
健康
- 医師
相談
施設
- 宗教
名所
出身・ゆかりのある人物
- 沖田荒吉(1874年 - ?、政治家) - 宮本猪之吉の兄[4]。1906年11月、村会議員となる[4]。1907年10月、郡会議員となる[4]。
- 金田長三郎(1878年 - ?、農業、政治家)[4] - 1918年1月、村会議員となる[4]。
- 黒田隆男(1887年 - ?、農業兼雑貨商、政治家)[4] - 1916年4月、中居谷区長となる[4]。1920年1月、村会議員となる[4]。
- 櫻田要(1895年 - ?、農業)[4] - 源七の男[4]。
- 櫻田勘十郎(1889年 - ?、農業、政治家)[4] - 1916年、宇和川村衛生組合長となる[4]。1922年、宇和川村会議員となる[4]。
- 永田茂三郎(1883年 - ?、農業、政治家)[4] - 1908年、中居谷区長となる[4]。1914年1月、村会議員に当選[4]。
- 宮本猪之吉(1876年 - ?、農業)[4] - 村収入役、村農会長、農事督励委員を歴任[4]。
脚注
- ^ 『愛媛県喜多郡統計書 明治43年』10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年6月29日閲覧。
- ^ a b 『大日本篤農家名鑑』100頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月17日閲覧。
- ^ a b c 『愛媛県会社並ニ工場通覧 昭和10年12月末日現在』28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 『愛媛県人物名鑑 第2輯 喜多郡、上浮穴郡、伊予郡之部』喜多郡うの部69-70、をの部35、かの部39・43、くの部74-75、さの部112、たの部53、なの部64、みの部126、やの部83、わの部37頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年12月26日閲覧。
- ^ a b 『大日本医師名簿』403頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月18日閲覧。
- ^ a b c 『喜多郡の華 附・上浮穴郡小田郷』78頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月17日閲覧。
参考文献
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 愛媛県喜多郡編『愛媛県喜多郡統計書 明治43年』喜多郡、1912年。
- 小川薫水編『喜多郡の華 附・上浮穴郡小田郷』小川寳文館、1914年。
- 『愛媛県人物名鑑 第2輯 喜多郡、上浮穴郡、伊予郡之部』海南新聞社、1923-1924年。
- 高崎雅雄編『大日本医師名簿』光明社、1925年。
- 愛媛県総務部統計課編『愛媛県会社並ニ工場通覧 昭和10年12月末日現在』愛媛県総務部統計課、1936年。
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 38 愛媛県』角川書店、1981年。