岩木山神社
岩木山神社 | |
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中門と拝殿 | |
所在地 | 青森県弘前市百沢字寺沢27 |
位置 | 北緯40度37分18.8秒 東経140度20分26.2秒 / 北緯40.621889度 東経140.340611度座標: 北緯40度37分18.8秒 東経140度20分26.2秒 / 北緯40.621889度 東経140.340611度 |
主祭神 |
顕国魂神 多都比姫神 宇賀能売神 大山祇神 坂上刈田麿命 |
社格等 |
旧国幣小社 別表神社 |
創建 | (伝)宝亀11年(780年) |
本殿の様式 | 三間社流造銅瓦葺 |
例祭 | 旧暦8月1日(八朔祭) |
地図 |
岩木山神社(いわきやまじんじゃ)は、青森県弘前市百沢の岩木山の南東麓にある神社。別称、「お岩木さま」「お山」「奥日光」。旧社格は国幣小社で、津軽国一宮とされる。
概要
昔から農漁業の守護神として、津軽の開拓の神として、地元の人々の祖霊の鎮まるところとして、親しまれてきた[1]。なお神社の参道は岩木山の登山道の1つとなっていることでも知られており、この神社の奥宮は岩木山の山頂付近にある。
社殿は、神仏習合の時代の名残りをとどめ、鎌倉時代以後の密教寺院の構造がみられる中に、桃山時代の様式を思わせる色とりどりの絵様彫刻がみられ、そうした外観が日光の東照宮を思わせるとして、「奥日光」と呼ばれるに至った[2]。
祭神
以上をまとめて岩木山大神(いわきやまおおかみ)と称する[3]。
歴史
創建については諸説があるが、最も古い説では、宝亀11年(780年)、岩木山の山頂に社殿を造営したのが起源とされる[1]。
延暦19年(800年)、岩木山大神の加護によって東北平定を為し得たとして、坂上田村麻呂が山頂に社殿を再建し、その後、十腰内地区に下居宮(おりいのみや=麓宮、現在の厳鬼山神社)が建立され、山頂の社は奥宮とされた[1]。また、田村麻呂は、父の刈田麿も合祀したとされる。
寛治5年(1091年)、神宣により、下居宮を十腰内地区から岩木山東南麓の百沢地区に遷座し、百沢寺(ひゃくたくじ)と称したのが現在の岩木山神社となっている[1]。岩木山の山頂に阿弥陀・薬師・観音の3つの堂があり、真言宗百沢寺岩木山三所大権現と称して、付近の地頭や領主らに広く信仰された[1]。
天正17年(1589年)岩木山の噴火により、当時の百沢寺は全焼したが、慶長8年(1603年)津軽為信により再建が始められ、その後も信牧・信義・信政らの寄進により再建が行われた[4][5]。本殿、奥門、それに続く瑞垣は、下居宮と称され[5]、江戸時代には津軽藩の総鎮守とされた。
明治の神仏分離により寺院を廃止、津軽総鎮守・岩木山神社とされ、明治6年(1873年)、国幣小社に列格された[2]。
境内
- 社務所
以下の社殿は、江戸時代初期から元禄時代にかけて代々の弘前藩主が造営・寄進したもので、楼門、拝殿、岩木山神社1括4棟(本殿、奥殿、瑞垣、中門)が重要文化財に指定されている。
- 本殿
- 奥門
- 瑞垣
- 拝殿
- 中門
- 楼門
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岩木山神社入口
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入り口鳥居から楼門まで長い参道が続く
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禊場・手水場
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楼門
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中門
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拝殿
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本殿
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社名標。背後は岩木山
祭事
- 七日堂神賑祭 - 選択無形民俗文化財
- お山参詣(神賑祭) - 重要無形民俗文化財
- 重要無形民俗文化財。「やまがけ」ともよばれ、津軽一円から岩木山の山頂にある奥宮を目指して、旧暦の7月末日から村落や地区などの単位で集団で登拝する祭礼[12]。かつては男性のみが登拝を許され、女性の登拝が許されたのは明治5年以降であった[13]。準備は約10日前から始まり、精進潔斎[注 2]をし、数メートルの高さの御幣や5色や墨書した幟などを作り、お供え用の餅をもつく[14]。旧暦7月末日、各村落から古老を先達とし、御幣・幟持ち、囃子方が揃い、笛・太鼓などの登山囃子にあわせ「サイギサイギ、ドッコイサイギ、オヤマサハツダイ、コンゴウドウサ、イーツニナノハイ、ナンムキンミョウチョウライ」と唱えながら岩木山神社に向かい、供物、御幣、幟などを奉納し、ヤドで休息でする。8月1日の御来迎を拝むため夜中に楼門脇の禊場で身を清め、登拝を開始する[12][14]。松明を持ち「サイギ、サイギ……」と唱えながら、約8 kmの行程を4時間程かけて登拝する。途中、坊主コロバシ、鼻くくりなどの難所を通り、錫杖清水で身を清め、種蒔苗代で豊凶を占い、山頂に達し、奥宮に御幣、御神酒などを奉納し、8月1日の御来迎を拝する。下山し登拝の無事を岩木山神社に報告し、バダラ(バッタラ)踊りをしながら帰途に就く[12][14]。
- 村落内の古老を先達とし、幼少期に初登拝するのが良いとされ、途中の豊凶の年占を行い、奥宮の神前で大騒ぎし、下山で五葉松の枝を折って帰るなど、古風をよくとどめ、収穫感謝や生業の無事を祈り、家内安全を願う地域的特色ある信仰行事である[12][14]。
文化財
国の重要文化財
- 岩木山神社楼門 附 棟札4枚 - 1908年(明治41年)4月23日指定[15]。
- 岩木山神社拝殿 附 棟札2枚 - 1908年(明治41年)4月23日指定[16]。
- 岩木山神社 4棟 - 1971年(昭和46年)6月22日指定。
国の無形民俗文化財
国の選択無形民俗文化財[注 3]
青森県指定重宝
- 3面とも作風から鎌倉時代から南北朝時代作と考えられ、ひば材に厚手の錆下地[注 4]黒漆塗りの本格的な技法で制作されている。
- (工芸品)釣燈籠 - 1956年(昭和31年)5月14日指定[19]。
- (工芸品)日本刀 銘相州住綱広 - 1956年(昭和31年)5月14日指定[20]。
交通
脚注
- 注釈
- 脚注
- ^ a b c d e “「岩木山神社」青森県神社庁ホームページ”. 2004年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ a b “岩木山神社の狛犬(18.06.15) - いいかも!!弘前 ~弘前シティプロモーションサイト~”. 弘前市 (2018年6月15日). 2018年9月14日閲覧。
- ^ “お山参詣について|岩木山観光協会|山で動く。山が動く。岩木山観光協会公式ウェブサイト”. 岩木山観光協会. 2018年9月14日閲覧。
- ^ a b c d e “岩木山神社拝殿・楼門 / 国指定文化財”. 弘前市役所文化財課. 2022年7月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g “岩木山神社本殿・奥門・瑞垣・中門”. 弘前市役所文化財課. 2022年7月14日閲覧。
- ^ a b “岩木山神社社務所”. 青森県庁文化財保護課. 2022年7月14日閲覧。
- ^ a b “奥門 / 岩木山神社 / 国宝・重要文化財(建造物)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月14日閲覧。
- ^ a b “瑞垣 / 岩木山神社 / 国宝・重要文化財(建造物)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月14日閲覧。
- ^ a b “中門 / 岩木山神社 / 国宝・重要文化財(建造物)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月14日閲覧。
- ^ a b “津軽の七日堂祭 / 記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月14日閲覧。
- ^ “津軽の七日堂祭”. 弘前市役所文化財課. 2022年7月14日閲覧。
- ^ a b c d e “岩木山の登拝行事 / 重要無形民俗文化財”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月14日閲覧。
- ^ “お山参詣図襖絵”. 弘前市役所文化財課. 2022年7月14日閲覧。
- ^ a b c d “岩木山の登拝行事”. 弘前市役所文化財課. 2022年7月14日閲覧。
- ^ “岩木山神社楼門 / 国宝・重要文化財(建造物)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月14日閲覧。
- ^ “岩木山神社拝殿 / 国宝・重要文化財(建造物)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月14日閲覧。
- ^ “本殿 / 岩木山神社 / 国宝・重要文化財(建造物)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2022年7月14日閲覧。
- ^ “舞楽面”. 青森県庁文化財保護課. 2022年7月14日閲覧。
- ^ “釣燈籠”. 青森県庁文化財保護課. 2022年7月14日閲覧。
- ^ a b “日本刀 銘相州住綱広”. 青森県庁文化財保護課. 2022年7月14日閲覧。