岩田守弘

いわた もりひろ
岩田 守弘
生誕 (1970-10-06) 1970年10月6日(53歳)
日本の旗 日本神奈川県横浜市
教育 岩田バレエスクール、ソビエトバレエインスティテュート、ソビエトバレエインスティテュート
職業 バレエダンサー芸術監督
身長 166 cm (5 ft 5 in)
過去所属国立ロシア・バレエ団(1999年-1995年)
ボリショイ劇場1995年-2012年
国立ブリヤートオペラ・バレエ劇場ロシア語版バレエ団(2012年-2019年
国立アカデミーオペラ・バレエ劇場(2019年-2022年

岩田 守弘(いわた もりひろ、1970年10月6日 - )は、日本バレエダンサー、芸術監督

ボリショイ・バレエ団所属中には、外国人として初のソリストを務めた。身長166cmと小柄ながら卓越した技術力を誇り、道化師悪魔などの個性的な役のスペシャリストを務めている。

人物

  • 神奈川県横浜市出身。1979年に岩田バレエスクールでバレエを始め、1988年に全日本バレエコンクールジュニア部門で第1位となる[1]
  • 1988年からソビエトバレエインスティテュートで2年間学ぶ。
  • 1990年1月から国立モスクワ・バレエ・アカデミーで1年半学び、アレクサンドル・ボンダレンコに師事する[1][2]。1991年10月からは国立ロシア・バレエ団に入団[1][3]
  • 数々の国際バレエコンクールで賞を受賞するが、1993年に第7回モスクワ国際バレエコンクールにてソロ部門で金賞を受賞したことが岩田のボリショイ劇場へ入団する転機となる。
  • 1995年ボリショイ劇場研究生、1996年に同劇場のソリストを経て、2003年の同劇場の第1ソリストに昇格する(ボリショイでの外国人第1ソリストは史上初[4])。
  • 2009年11月、ロシア政府より友好勲章を授与される[1]
  • 2010年3月、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
  • 2011年10月7日、このシーズン限りでの現役引退及びバレエ振付師への転向を表明[5]
  • 2012年7月17日、ボリショイ劇場新館にて、自身の退団記念公演に出演[6]。17年間のボリショイ・バレエ団でのダンサー生活に終止符を打つ。
  • 2012年9月、ウラン・ウデ国立ブリヤートオペラ・バレエ劇場ロシア語版バレエ団の芸術監督に就任[7]
  • 2012年、国際社会で顕著な活動を行い世界で『日本』の発信に貢献したとして、内閣府から「世界で活躍し『日本』を発信する日本人[8]の一人に選ばれた[4]
  • 2015年、ウクライナ紛争中にロシアからウクライナ不法入国[9][10]し、ロシア系の武装組織であるドネツク人民共和国が開催したバレエフェスティバルに参加した[11][12][13]。ウクライナではロシアの共犯者とみなされ、ウクライナ文化省が作成したブラックリストウクライナの国家安全保障に脅威を与える人物リストウクライナ語版」に登録された。
  • 2019年、ニジニーノブゴロドの国立アカデミーオペラ・バレエ劇場の芸術監督に就任。
  • 2021年4月8日、ニジニーノブゴロドの国立アカデミーオペラ・バレエ劇場で50歳の記念公演を行った。公演後、「今できる全力をかけた。思い残すことはない」と語っており、年齢的な理由から「こういう大きな舞台は恐らくないだろうと思う」「人生の大きな節目」としている[14][15]
  • 2022年2月5日、自らのInstagramにてニジニーノブゴロドの国立アカデミーオペラ・バレエ劇場副芸術監督を退任することを明らかにした。着任したときに見ていた壮大な夢が叶わないと分かったことを理由としており、劇場に所属するダンサーたちのプロ意識に感謝している[16]。退任したのは6日付で、日本に活動の拠点を移す意向であることが同月15日に報じられた[17]

国際大会

  • 1991年:ジャクソンバレエコンクール(ジュニア部門で第3位)
  • 1992年:ペルミバレエコンクール(グランプリ、バルィシュニコフ賞受賞)
  • 1993年:第7回モスクワ国際バレエコンクール(第1位、ソロ部門で金賞)
  • 2001年:バランシン記念第1回国際バレエコンクール(グランプリ)

主なテレビ出演

関連文献

  • 北川裕子北川剛史『ボリショイ・バレエ: その伝統と日本人ソリスト岩田守弘』東洋書店〈ユーラシア・ブックレット No. 129〉、2008年10月1日。ISBN 978-4885957994NCID BA87738482 
  • 大前仁『ボリショイ卒業: バレエダンサー岩田守弘 終わりなき夢の旅路』東洋書店新社、2018年12月12日。ISBN 978-4773420340NCID BB27643002 

脚注

  1. ^ a b c d 「時代を駆ける:岩田守弘:MORIHIRO IWATA (1)」 『毎日新聞』 2010年2月15日、13版、5面。
  2. ^ 「時代を駆ける:岩田守弘:MORIHIRO IWATA (5)」 『毎日新聞』 2010年2月23日、12版、9面。
  3. ^ 「時代を駆ける:岩田守弘:MORIHIRO IWATA (2)」 『毎日新聞』 2010年2月16日、13版、11面。
  4. ^ a b プロフェッショナル仕事の流儀 第104回2008年12月9日放送
  5. ^ ボリショイ岩田さん引退へ 唯一の日本人ソリスト 産経新聞 2011年10月8日閲覧
  6. ^ 岩田さんボリショイに別れ 退団公演「17年間幸せ」 共同通信 2012年7月18日閲覧
  7. ^ “バレエの岩田守弘さん、ロシア国立劇場の芸術監督に”. 朝日新聞. (2012年9月6日). http://www.asahi.com/culture/update/0906/TKY201209060159.html?ref=rss 2012年9月6日閲覧。 
  8. ^ (japanese)『世界で活躍し『日本』を発信する日本人 プロジェクト』(pdf)(プレスリリース)内閣府国家戦略室、2012年9月。 オリジナルの2013年1月5日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20130105105512/http://www.npu.go.jp/policy/policy09/pdf/20120918/20120918.pdf2013年1月21日閲覧 
  9. ^ ロストフ ナ ダヌに到着。”. 岩田守弘オフィシャルブログ (2015年11月20日). 2022年11月1日閲覧。
  10. ^ 芸術が僕の全てだから。”. 岩田守弘オフィシャルブログ (2015年11月21日). 2022年11月1日閲覧。
  11. ^ Замість анонсованого японського танцюриста, в Донецьку виступив худрук Бурятського балету | Українська правда _Життя”. web.archive.org (2015年11月23日). 2016年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月1日閲覧。
  12. ^ 無題”. 岩田守弘オフィシャルブログ (2015年11月22日). 2022年11月1日閲覧。
  13. ^ 続編。”. 岩田守弘オフィシャルブログ (2015年11月22日). 2022年11月1日閲覧。
  14. ^ 共同通信 (2021年4月9日). “バレエの岩田守弘さんが記念公演 ロシア、節目の50歳「全力で」 | 共同通信”. 共同通信. 2021年4月9日閲覧。
  15. ^ バレエ岩田守弘さんが記念公演 50歳の節目、観客魅了―ロシア:時事ドットコム”. 時事ドットコム(2021年4月9日). 2021年4月9日閲覧。
  16. ^ @moriiwata:「Дорогие мои друзья! Сегодня я завершаю свою работу в Нижегородском театре оперы и балета им.А.С.Пушкина. В театре я работал 2,5 года,…」”. Instagram(2022年2月5日). 2022年3月12日閲覧。
  17. ^ 共同通信 (2022年2月15日). “バレエ岩田守弘さん帰国へ ロシア劇場の副芸術監督退任 | 共同通信”. 共同通信. 2022年2月15日閲覧。
  18. ^ 悔しさを、情熱に バレエダンサー・岩田守弘”. NHK (2008年12月9日). 2024年5月8日閲覧。

外部リンク