常蔭槐
常蔭槐 | |
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プロフィール | |
出生: | 1876年(清光緒2年) |
死去: |
1929年(民国18年)1月11日 中華民国奉天省奉天市 |
出身地: | 清盛京将軍管轄区奉天府昌図庁梨樹城(現・ 中国吉林省四平市梨樹県) |
職業: | 政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 常蔭槐 |
簡体字: | 常荫槐 |
拼音: | Cháng Yìnhuái |
ラテン字: | Ch'ang Yin-huai |
注音二式: | Cháng Yìnhuái |
和名表記: | じょう いんかい |
発音転記: | チャン・インファイ |
常 蔭槐(じょう いんかい) は、中華民国の政治家。北京政府奉天派に属した。字は瀚襄。
事跡
1926年(民国15年)、京奉鉄路局長に就任した。同年12月、安国軍交通総長となる。1927年(民国16年)6月、北京政府の潘復内閣で交通部次長となる。さらに交通総長を兼任していた潘復のために、総長事務を代理した。また、関税自主委員会委員も兼任している。7月、黒竜江省長に異動し、陸軍行営総執法処処長も兼ねた。
張作霖死後の1928年(民国17年)7月、東北保安委員会委員、黒竜江省省長、東北交通委員会委員長を兼任する。同年12月31日、易幟に伴い改組された黒竜江省政府の初代主席となった。
しかし、その直後の1929年(民国18年)1月11日、張学良により常蔭槐は楊宇霆とともに緊急逮捕されてしまう。常蔭槐と楊宇霆は、即座に銃殺刑に処された。享年54。
参考文献
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国(国民政府)
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