徳大寺公英
徳大寺 公英(とくだいじ きんひで[1]、1919年(大正8年)11月2日[2] - 没年不詳)は、日本の美術評論家。旧公爵・徳大寺家32代当主。東山天皇の男系九世子孫である。戸籍上の表記は德大寺。
来歴
徳大寺実厚の長男。母は松平直之の娘・米子[1]。子に徳大寺実啓。東京府東京市(現:東京都)出身。
1945年東京帝国大学法学部政治学科卒。学習院大学講師、ブリヂストン美術館嘱託[3]。
美術評論家。「原色版美術ライブラリー(世界美術)」(みすず書房)第18巻解説を執筆[4]。
文芸春秋1968年4月号(46巻4号)に「藤田嗣治--その愛の履歴」を執筆するなど、美術評論を多数執筆する。
人物
武蔵野美術大学名誉教授の藤枝晃雄は、徳大寺公英がそのころは中野の狭いアパートに住んでおり、「美術だけではなくて、いろいろなものを若いときから勉強しなさい」と言われたことを記憶していると述べた[5]。
親族
- 母
- 松平直之 (伯爵)の娘・米子
- 兄弟
- 子
系譜
東山天皇 | 中御門天皇 | 桜町天皇 | 桃園天皇 | 後桃園天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
直仁親王 | 典仁親王 | 光格天皇 | 仁孝天皇 | 孝明天皇 | 明治天皇 | 大正天皇 | 昭和天皇 | 太上天皇 | 今上天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鷹司輔平 | 鷹司政煕 | 鷹司政通 | 鷹司輔煕 | 德大寺公純 | 德大寺實則 | 德大寺公弘 | 德大寺實厚 | 德大寺公英 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- 係累縁者が多数に上るため、東山天皇以降の歴代天皇および関連する男系男子の人物を記載した。そのため、母方の系図は省略している。
脚注
- ^ a b 維新史料編纂会 編『現代華族譜要』(日本史籍協会、1929年)431頁
- ^ 『華族名簿. 昭和18年7月1日現在』(華族会館、1943年)257頁
- ^ 『日露友好記念、文化交流大全集美術評論家:徳大寺公英 経歴.』2017年1月22日閲覧
- ^ 『18巻:『キュービスム』(徳大寺公英解説).』2017年1月22日閲覧
- ^ 『藤枝晃雄オーラル・ヒストリー. 2010年1月30日』2017年1月22日閲覧
- ^ a b 平成新修旧華族家系大成下p174-175