恋のピンチ・ヒッター
「恋のピンチ・ヒッター」 | ||||||||
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ザ・フー の シングル | ||||||||
B面 |
サークルズ(インスタント・パーティ)(UK) ワルツ・フォー・ザ・ピッグ(UK ,US) | |||||||
リリース | ||||||||
規格 | 7インチ・シングル | |||||||
録音 | 1966年2月 ロンドン オリンピック・スタジオ[2] | |||||||
ジャンル | ロック | |||||||
時間 | ||||||||
レーベル |
リアクション・レコード アトコ・レコード | |||||||
作詞・作曲 | ピート・タウンゼント | |||||||
プロデュース | ピート・タウンゼント | |||||||
チャート最高順位 | ||||||||
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ザ・フー シングル 年表 | ||||||||
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「恋のピンチ・ヒッター」(Substitute)は、イギリスのロックバンド、ザ・フーの楽曲。1966年に4枚目のシングルとしてリリースされた(実質5枚目)。作詞、作曲とプロデュースはピート・タウンゼント。オリジナルアルバムには未収録。
解説
前作までのプロデューサーだったシェル・タルミーと決別し、タウンゼント自らプロデュースした最初の作品である。全英2位を記録した「マイ・ジェネレーション」に続き、全英5位につけるヒットとなった。この曲はタウンゼントのデモ・テープから作った最初の作品であった[2]。アコースティックギターが使用され、前作に比べキャッチーな曲調になっている。人種問題に敏感なアメリカでは、「俺は白人に見えるが俺の親父は黒人だ」という歌詞が「俺は前に進もうとしてるのに足が後に向かう」に変更されている[2]。この曲のリアル・ステレオ・バージョンは存在しない[4]。
ザ・フーのコンサートでは常連曲となっており、『ライヴ・アット・リーズ』(1970年)や『ワイト島ライヴ1970』(1996年)、『フーズ・ラスト』(1984年)等、数々の公式ライブアルバムに収録されている。
この曲は、2022年、ローリング・ストーン誌の「ザ・フーの史上最高の50曲」の11位に[5]、2023年にペースト誌の「ザ・フーの史上最高の20曲」の13位に[6]、それぞれ選ばれている。また、ギターワールド誌が選ぶ「偉大なる12弦ギターソング」で、18位に選ばれている[7]。
発売をめぐるトラブル
本作をシングル発表する前の1966年1月、ザ・フーはタルミーのプロデュースの下、「サークルズ」と「インスタント・パーティ」[注釈 1]をレコーディングする[8]。それから間もなく、彼等は印税の取り分をめぐる対立からタルミーとの契約を破棄し[8]、ブランズウィック・レコードからエージェントのロバート・スティグウッドが設立したリアクション・レコードへ移籍した。
彼等はタルミーがプロデュースしたものとは異なる録音の「サークルズ」をB面収録曲に用いて、本作のシングルをリアクション・レコードから発表した[9]。だがタルミーは「サークルズ」が著作権侵害に当たるとして、裁判所にシングルの発売の即時停止を訴えた[10]。彼等はこの動きを見越して「サークルズ」を「インスタント・パーティ」に改題した[注釈 2]シングル[11]も発売していたが無駄に終わり[10]、本作のシングルは発売5日で発禁処分となってしまった。
注文が殺到していた事もあって、彼等はこの発禁処分に抵抗する意味もこめて、"The Who Orchestra"名義の「ワルツ・フォー・ザ・ピッグ」という、タルミーを揶揄した曲名を持つインストゥルメンタルをB面に収録したシングルを発売した[12]。この曲はスティグウッドがマネージメントしていたグレアム・ボンド・オーガニゼーション(GBO)が演奏したもの[13]で、彼等は一切関わっていない[注釈 3][注釈 4][14][15]。
このため本作のシングルには、3つのバージョンが存在することになる[9][11][12]。
このように「恋のピンチ・ヒッター」は様々な問題に苛まれたが、UKチャートの5位に入るヒットとなった。この人気に乗じてアメリカでもシングル発表されたが、チャートインしなかった[14]。
なおタルミーは、自分が本作をプロデュースしたと主張している[2]。彼はさらに本作のシングルの売上に対抗するために、自分がプロデュースしたアルバム『マイ・ジェネレーション』からバンド側に無許可でシングルをカットして、ブランズウィック・レコードから発表し続けた。その第一弾が皮肉にも「リーガル・マター」(法的問題)であり、彼はB面に自分がプロデュースしたバージョンの「サークルズ」を「インスタント・パーティ」と改題して収録した[14][16]。タルミーはその後も「キッズ・アー・オールライト」[17]、「ラ・ラ・ラ・ライズ」[18]と執拗にシングルをカットしたが、いずれもチャートの上位には届かなかった[19]。
脚注
注釈
- ^ 「ディオン・アンド・ザ・ベルモンツ風のパロディ曲」で、未発表のままお蔵入りとなり、2002年に発表された『マイ・ジェネレーション』のデラックス・エディションで「インスタント・パーティ・ミクスチャー」と改題されてようやく日の目を見た。
- ^ 音源は同じである。上記の「ディオン・アンド・ザ・ベルモンツ風のパロディ曲」ではない。
- ^ 元々はGBOのドラマーで後にクリームのメンバーになるジンジャー・ベイカーが書いた'Ode to a Toad'という曲で、GBOのアルバム制作の過程で録音されたものの、未発表のままお蔵入りになっていた。スティグウッドはシングルを一刻も早く発売する為に、ベイカーに金を支払い、作者の名前をHarry Butcherに変えて、GBOの録音をそのまま用いた。
- ^ このため、「ワルツ・フォー・ザ・ピッグ」を収録したザ・フーの公式作品は非常に少なく、日本独自の編集版『エキサイティング・ザ・フ―』(1967年)と、ザ・フーの全シングルを網羅したCD5枚組ボックス『Maximum As&Bs』(2017年)にのみ収録されている。
出典
- ^ a b 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、324-325頁。
- ^ a b c d 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、107頁。
- ^ WHO | Artist | Official Charts
- ^ 『ア・クイック・ワン』コレクターズ・エディション(2012年)付属の犬伏功による解説より
- ^ “The Who's 50 Greatest Songs” (英語). www.rollingstone.com. 2024年5月29日閲覧。
- ^ “The Who's 20 Greatest Songs of All Time” (英語). www.pastemagazine.com/. 2024年5月29日閲覧。
- ^ “The greatest 12-string guitar songs of all time” (英語). www.guitarworld.com (2020年5月20日). 2021年12月26日閲覧。
- ^ a b 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、106頁。
- ^ a b “www.thewho.com”. 2025年1月27日閲覧。
- ^ a b 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、108頁。
- ^ a b “www.thewho.com”. 2025年1月27日閲覧。
- ^ a b “www.thewho.com”. 2025年1月27日閲覧。
- ^ Baker, Ginger; Baker, Ginette (2010). Ginger Baker: Hellraiser. London: Bonnier Books. pp. 95-96. ISBN 978-1-84454-966-5
- ^ a b c 『エニウェイ・エニハウ・エニウェア』アンディ・ニール、マット・ケント著、佐藤幸恵、白井裕美子訳、シンコーミュージック刊、2008年、109頁。
- ^ 5CDボックス『Maximum As&Bs』(2017年)付属のマーク・ブレイクの解説より。
- ^ “www.thewho.com”. 2025年1月28日閲覧。
- ^ “www.thewho.com”. 2025年1月28日閲覧。
- ^ “www.thewho.com”. 2025年1月28日閲覧。
- ^ レコード・コレクターズ増刊『ザ・フー アルティミット・ガイド』(2004年)125頁