新磯村

あらいそむら
新磯村
廃止日1941年4月29日
廃止理由新設合併
座間町新磯村麻溝村田名村上溝町大沢村相原村大野村相模原町
現在の自治体相模原市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方関東地方
都道府県神奈川県
高座郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口3,655
国勢調査、1940年)
隣接自治体 高座郡座間町、大野村、麻溝村
愛甲郡依知村
新磯村役場
所在地 神奈川県高座郡新磯村大字磯部
座標北緯35度30分07秒 東経139度23分06秒 / 北緯35.50203度 東経139.38494度 / 35.50203; 139.38494座標: 北緯35度30分07秒 東経139度23分06秒 / 北緯35.50203度 東経139.38494度 / 35.50203; 139.38494
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新磯村(あらいそむら)は、1889年(明治22年)から1941年(昭和16年)にかけて神奈川県高座郡に存在した町村制による自治体である。現在は相模原市南区の一部である[1][2]

歴史

村名の由来

旧村名の戸、部からの合成地名

沿革

軍施設

1937年昭和12年)に陸軍士官学校座間への移転に合わせて、麻溝村から南隣の新磯村にかけての台地上の土地の大部分が陸軍に買収され、士官学校の演習場とされた。

陸軍に演習場として土地を買収された麻溝村・新磯村の失地耕作者の対応として麻溝台東端付近一帯に、昭和11年12月認可の「芝野耕地整理組合」を設立。しかし面積は失地地積の六分の一に過ぎず、さらに昭和12年12月知事の認可を得て「芝原耕地整理組合」を設立した。昭和15年3月建立の記念碑が相模原公園体育館駐車場、交番の近くに移設。記念碑裏面には当時の関係者77名の名が刻まれている。尚、麻溝村失地耕作者の内30名は陸軍士官学校その他に就職した[3]

交通

鉄道路線

参考文献

  • 角川日本地名大辞典』 14 神奈川県
  • 『相模原市史第4巻』発行者:相模原市長 河津 勝 発行日:昭和46年3月18日

脚注

注釈

出典

  1. ^ 江戸時代に開発された土地を「新田」、明治以降のものは「新開」、戦後のものは「開拓」と呼ばれている。24頁参照。橋本の歴史ガイドブック改訂版”. 橋本の歴史を知る会. 2024年12月28日閲覧。
  2. ^ ※戦後に開発された土地は「帰農」と呼ばれている。神奈川県相模原市南区 (14153)”. 農業集落境界データセット. 2024年11月2日閲覧。
  3. ^ 『相模原市史第4巻』軍関係諸施設の市域転入と農村の対策 566頁~568頁

関連項目