森下重格
森下 重格(もりした しげのり、1891年〈明治24年〉12月 - 1956年〈昭和31年〉12月21日)は、日本の内務官僚。検察官。
経歴
徳島県出身。1917年(大正6年)に法政大学専門部政治科を卒業し、1921年(大正10年)に東京外国語学校(現在の東京外国語大学)英語専修科を卒業した。大阪府泉南郡長、大阪府事務官、長崎県事務官、沖縄県書記官・経済部長、同総務部長、山口県経済部長を歴任した。1941年(昭和16年)に退官した後、横須賀市助役に就任。1943年(昭和18年)9月から広島市助役を務めた[4]。
1945年(昭和20年)8月6日、広島市への原子爆弾投下では千田町の下宿2階で被爆。家屋倒壊により失神状態となるが数時間後に回復した。翌日から市長代理として救護活動や応急事務を指揮した。その後、白血球減少症となり、しばらく療養するが回復せずに同年12月10日に助役を退職。神奈川県逗子市で2年間療養したのち、横浜地方検察庁副検事に就任。1952年(昭和27年)脳動脈硬化症のため辞任し療養を続けたが回復せず、1956年(昭和31年)12月、肺炎を併発し死去した。
脚注
参考文献
広島大学学長(広島市立工業専門学校長事務取扱:1945年) |
---|
- 事務取扱 桜井役 1949-1950
- 初代 森戸辰男 1950-1963
- 第2代 皇至道 1963-1966
- 事務取扱 小川二郎 1966
- 第3代 川村智治郎 1966-1969
- 事務取扱 三好稔 1969
- 第4代 飯島宗一 1969-1977
- 第5代 竹山晴夫 1977-1981
- 事務取扱 式部久 1981
- 第6代 頼實正弘 1981-1985
- 第7代 沖原豊 1985-1989
- 第8代 田中隆荘 1989-1993
- 第9代 原田康夫 1993-2001
- 第10代 牟田泰三 2001-2007
- 第11代 浅原利正 2007-2015
- 第12代 越智光夫 2015-
|
前身諸学校・大学長 |
---|
|
---|
- 十時弥 1923-1932
- 新保寅次 1932-1934
- 事務取扱 石井忠純 1934
- 岡上梁 1934-1936
- 添野信 1936-1940
- 菊池清治 1940-1941
- 織田祐萠 1941-1943
- 安藤祐専 1943-1945
- 内藤匡 1945-1950
|
| | |
---|
- 事務取扱 森下重格 1945
- 勝盛豊一 1945-1951
|
| |
---|
- 事務取扱 澤柳政太郎 1902
- 北条時敬 1902-1913
- 幣原坦 1913-1920
- 吉田賢龍 1920-1934
- 武部欽一 1934
- 事務取扱 乾環 1934
- 塚原政次 1934-1945
- 近藤寿治 1945
- 事務取扱 鈴木敏也 1945
- 事務取扱 古賀行義 1945
- 長田新 1945-1949
- 事務取扱/校長 桜井役 1949/1949-1952
|
| |
---|
- 松尾長造 1945-1946
- 桜井役 1946-1952
|
| |
---|
- 初代 吉田賢龍 1929-1934
- 第2代 武部欽一 1934
- 事務取扱 乾環 1934
- 第3代 塚原政次 1934-1945
- 第4代 近藤寿治 1945
- 事務取扱 鈴木敏也 1945
- 事務取扱 古賀行義 1945
- 第5代 長田新 1945-1949
- 事務取扱 桜井役 1949-1950
- 第6代 森戸辰男 1950-1962
|
| |
---|
広島県立医学専門学校長 |
- 事務取扱 中村良三 1945
- 林道倫 1945-1946
- 事務取扱/校長 清水多栄 1946/1946-1952
|
---|
広島県立医科大学長 |
- 事務取扱/学長 清水多栄 1947-1948/1948-1952
|
---|
広島医科大学長 |
- 河石九二夫 1952-1956
- 西丸和義 1956
- 鈴木直吉 1956-1958
- 渡辺漸 1958-1960
- 塚本寛 1960-1961
|
---|
|
|
|
|
|