河野通宣 (刑部大輔)

 
河野通宣
東京大学史料編纂所蔵
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 永正16年(1519年
別名 六郎
戒名 天徳寺殿天臨宗感大禅定門
官位 刑部大輔
幕府 室町幕府伊予守護
主君 足利義澄義稙
氏族 河野氏
父母 父:河野教通
兄弟 通生、通宣、通氏、稲葉通貞
通直、松末通氏
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河野 通宣(かわの みちのぶ、生年不詳 - 永正16年(1519年))は、戦国時代伊予国戦国大名伊予河野氏の当主。湯築城主。

生涯

分家である予州家との対立は継続しており、一時河野通篤(通春の子。左京大夫通宣の祖父、但し異説あり)に居城を追われたが、間もなく奪回している。