潤州
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この項目では、中国の歴史的地名としての潤州について説明しています。鎮江市の市轄区の潤州については「潤州区」をご覧ください。 |
潤州(じゅんしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から北宋にかけて、現在の江蘇省鎮江市一帯に設置された。
概要
589年(開皇9年)、隋が南朝陳を滅ぼすと、南徐州と東海郡が廃止されて、揚州に編入された。595年(開皇15年)、南徐州の故治に潤州が置かれた。605年(大業元年)、潤州は廃止された[1]。
620年(武徳3年)、唐が杜伏威を降伏させると、江都郡延陵県に潤州が置かれ、延陵県は丹徒県と改称された。742年(天宝元年)、潤州は丹陽郡と改称された。758年(乾元元年)、丹陽郡は潤州の称にもどされた。潤州は江南東道に属し、丹徒・丹陽・延陵・上元・句容・金壇の6県を管轄した[2]。
北宋のとき、潤州は両浙路に属し、丹徒・丹陽・延陵・金壇の4県を管轄した。975年(開宝8年)、潤州に鎮江軍が置かれた。1113年(政和3年)、潤州は鎮江府に昇格した[3]。
脚注
- ^ 『隋書』地理志下
- ^ 『旧唐書』地理志三
- ^ 『宋史』地理志四
宋朝の行政区分 |
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北宋 |
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京畿路 |
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京東東路 |
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京東西路 |
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京西南路 |
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京西北路 |
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河北東路 |
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河北西路 |
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河東路 |
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永興軍路 |
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秦鳳路 |
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両浙路 |
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淮南東路 |
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淮南西路 |
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江南東路 |
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江南西路 |
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荊湖北路 |
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荊湖南路 |
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福建路 |
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成都府路 |
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梓州路 |
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利州路 |
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夔州路 |
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広南東路 |
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広南西路 |
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南宋 |
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両浙西路 |
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両浙東路 |
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江南東路 |
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江南西路 |
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淮南東路 |
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淮南西路 |
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荊湖南路 |
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荊湖北路 |
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京西南路 |
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福建路 |
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成都府路 |
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潼川府路 |
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夔州路 |
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利州路 |
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広南東路 |
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広南西路 |
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