燕然都護府
燕然都護府(えんぜんとごふ、拼音:Yànrándōuhùfŭ)は、中国の唐代に外モンゴルに置かれた軍事行政機関。安北都護府の前身。
沿革
貞観21年(647年)、燕然都護府を鬱督軍山[1]に設置。鉄勒諸部が唐に帰順したため、その地を分けて13の州府を置いた。
龍朔3年(663年)2月、燕然都護府を改めて瀚海都護府とする[2]。
府州
太宗は鉄勒諸部に6府7州を置き、府には都督を、州には刺史を置き、それぞれに長史と司馬以下の官を置いた。
都督府
- 瀚海都督府(迴紇部/回紇部)
- 燕然都督府(多覧葛部)
- 金微都督府(僕骨部)
- 幽陵都督府(抜野古部)
- 亀林都督府(同羅部)
- 盧山都督府(思結部)
州
- 皋蘭州(渾部)
- 高闕州(斛薛部)
- 鶏田州(阿跌部)
- 楡渓州(契苾部/契苾羽部)
- 鶏鹿州(跌結部/奚結部)
- 蹛林州(阿布思部/思結別部)
- 寘顔州(白霫部)
その他府州
おもな燕然都護
都護
副都護
脚注
- ^ 『旧唐書』列伝第一百四十五迴紇、『新唐書』列伝第一百四十二上回鶻上には「故単于台」とある。
- ^ 『新唐書』列伝第一百四十上突厥上には「麟徳初(664年)、改燕然為瀚海都護府」とある。
参考資料
- 『旧唐書』本紀第四高宗上、列伝第一百四十五迴紇、列伝第一百四十九下北狄
- 『新唐書』志第二十七地理一、列伝第一百四十上突厥上、列伝第一百四十二上回鶻上
関連項目