特TL型

特1TL型
特1TL型『しまね丸』 昭和20年7月28日 香川県志度湾 空襲により大破着座状態。
飛行甲板が船体全面を被う構造が確認できる。
基本情報
種別 航空母艦(護衛空母)
建造所 川崎重工業
運用者 大日本帝国海軍
建造期間 1944年 – 1945年
就役期間 1945年
建造数 1隻
要目
基準排水量 11,800t
公試排水量 14,500t
満載排水量 20,469t
全長 160.5m
水線長 153.0m
22.8m
水線幅 20m
吃水 9.1m
飛行甲板 155.0m × 23.0m
推進器 蒸気タービン1基1軸、8,600馬力
ボイラー2基
速力 18.5ノット
航続距離 14.0ノット / 10,000海里または5,600 km
乗員 600 - 800名
兵装 • 12.0cm単装高角砲 × 2
• 三連装25mm対空機銃 × 9
• 連装25mm対空機銃 × 1
• 単装25mm対空機銃 × 23
• 爆雷投射機 ×1
爆雷16発
搭載機 12機(九三式中間練習機)
重油10,000t積載
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特2TL型
特2TL型『山汐丸』 昭和20年。
特1TL型よりやや小柄で、飛行甲板が船首までは伸びていない。
基本情報
種別 航空母艦(護衛空母)
建造所 三菱重工業横浜船渠
運用者 大日本帝国陸軍
建造期間 1944年
就役期間 1945年
建造数 2隻
要目
基準排水量 10,100t
満載排水量 15,864t
全長 157.4m
水線長 148.3m
22.8m
水線幅 20.4m
吃水 9m
飛行甲板 125.0m × 23.0m
推進器 蒸気タービン1基1軸、4,500馬力
ボイラー2基
速力 15.0ノット
航続距離 13.0ノット / 9,000海里
乗員 221名
兵装二式十二糎迫撃砲 × 2
• 連装25mm対空機銃 × 8
• 爆雷投下軌条 ×2
• 爆雷120発
搭載機 8機(三式指揮連絡機)
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特TL型(とくTLがた)とは、第二次世界大戦中に日本で建造された、航空母艦機能を有するタンカーの型式である。戦時標準船の一種であるTL型タンカーを原型として設計された。特TL船とも。

概要

第二次世界大戦中、南方日本軍占領地からの資源輸送船団は、連合国潜水艦から攻撃をしばしば受けていた。そこで、1943年(昭和18年)、日本陸軍は、商船に簡単な改造を施して若干の対潜哨戒機を搭載した簡易な護衛空母とし、輸送と船団護衛を同時に行える船を提案した。この提案に対して海軍は、沿岸基地からの陸上機による哨戒のほうが有効であるとして反対していたが、最終的に建造に同意した。そして、戦時標準船のうちの大型タンカーであるTL型を原型として建造することとなった。

TL型は、もともと特設空母への改装も想定しており、第一次船舶建造計画で設計された特1TL型では最高速力15ktと比較的高速であった[1]軍艦としての特設艦船ではなく、あくまで民間船として建造し船員も民間人とされ、そのうえで配当船と呼ばれる方式で軍管理下とする運用が計画された。この点、イギリスMACシップと極めて類似した構想と言える。ただしミッドウェー海戦の敗北以降、空母不足に悩んでいた日本海軍は、場合によっては艦隊型空母の補助として積極的戦闘任務に用いることも想定していた[2]

全通式の飛行甲板を張った下に格納庫が設けられ、エレベーター1基が設置された。煙突は、日本海軍の空母の多くと同様、船体側方に排気するようになっていた。搭載機数は10機前後で、海軍配当船では九三式中間練習機、陸軍配当船では三式指揮連絡機を通常は使用することが予定された。また、海軍の各種艦上機も、発艦補助ロケットなどを使うことで、少なくとも発艦は可能と計画されていた。

日本海軍と陸軍それぞれの配当船用として多数が計画されたが、ほとんど完成しなかった。一部は石炭を燃料とした通常輸送船に設計変更された。わずかに竣工したものも、すでに南方の資源航路が閉鎖状態だったため任務に就くことはなく、港に係留されたまま空襲により失われた。

運用思想の違い

連合国では特TL型のような船団護衛型の空母類似船舶は、後に護衛空母へと発展し、護送船団の中核として多大な功績を残しているが、大日本帝國海軍で同時期既に建造していたCAMシップ(戦闘カタパルト艦)類似の給油艦速吸及びこの後継に当たる鷹野型給油艦は基本的には船団護衛よりも艦隊型空母の補助戦力として海戦に投入する意図が強いものであった。

大日本帝國で唯一小型の特設空母が随伴し、構成船舶も20kt級の比較的優速の優良船舶ばかりで構成されたヒ船団において、ヒ74船団潜水艦の雷撃で喪失した雲鷹が、その戦闘詳報において『空母ガ船団ト同速力ニテ運動スルハ最モ不可ナリ』と明言し、(戦闘部隊の艦隊と比較し)低速の輸送船団に空母を同行させる編成を抜本的に見直すよう提言する[3]など、海軍では船団護衛型の空母類似船舶の量産に消極的な意見が多く見られた。

ただし、このような護衛空母の運用思想の違いについては、洋上に拠点が無く支援機を出す事が出来ない太平洋大西洋横断輸送を行っていた連合軍と、陸上基地の支援を受けられる位置を航行していた日本軍では、運用状況が全く異なる事に留意する必要がある。

戦時中、多数の日本船舶を撃沈したアメリカ海軍太平洋艦隊潜水艦部隊の司令官であったチャールズ・A・ロックウッドは「台湾中国フィリピンから船団護衛機を出したほうが経済的で安全である」という意見を残している[4]

分類

原型となったTL型戦標船には計画時期によって異なった型式が存在しており、原型の分類に合わせて特1TL型(1TL型戦標船原型)、特2TL型(2TL型戦標船原型)などに分類された。このうち、海軍は艦隊任務への編入を見据えた大型で高速力の特1TL型、陸軍はやや小型劣速ながらも標準的な護送船団護衛空母として十分な船格を持つ特2TL型の配当をそれぞれ受けることになっていた。武装も特1TL型は対空戦闘を重視した構成なのに対して、特2TL型は対潜戦闘を重視し駆潜艇並みの対潜兵器を与えられていた。

  • 特1TL型 - 4隻計画。しまね丸、大滝山丸(未成)、大邱丸(未成。戦後タンカーとして就役)、大社丸(未起工)。1TL型は艦隊随行を意識した船形で、量産性はまだそれ程考慮されてはいなかった。
  • 特2TL型 - 2隻計画。山汐丸、千種丸(未成。戦後タンカーとして就役)。2TL型は量産性を最優先にした直線を多用した船形が特徴で、機関の製造力不足から劣速とせざるを得ず、艦隊随行は考慮されなかった。
  • 特3TL型 - 基準排水量10200トン。2TL型をベースに主機のタービンを1基1万馬力まで強化する事で1TL型に比肩する19ktを発揮させるようにしたもの。原型船が3隻しか完成せず、特TL型への改装は行われなかった。
  • 特4TL型 - 基準排水量9600トン。3TL型のタービンを2基に増加する事で速度が22ktまで向上。原型船は全て未成。

注記

  1. ^ 田村尚也 「戦時標準船の計画と生産」 『帝国陸海軍補助艦艇』 学習研究社〈歴史群像太平洋戦史シリーズ〉、2002年、173頁。
  2. ^ 戦史叢書、414頁。
  3. ^ C08030583700『昭和19年4月1日~昭和19年9月17日 軍艦雲鷹戦時日誌(3)』。 pp.49-51『七.(一)戦訓』、アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
  4. ^ 戦史叢書46 1971, pp. 311.

参考文献

関連項目

外部リンク