申京淑

申 京淑
誕生 (1963-01-12) 1963年1月12日(61歳)[1]
大韓民国の旗 韓国全羅北道井邑市[1]
職業 小説家[1]
言語 韓国語
活動期間 1985年[1] -
ジャンル 小説
デビュー作겨울우화 (冬の寓話)」[1]
ウィキポータル 文学
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申 京淑
各種表記
ハングル 신경숙[2]
漢字 申 京淑[3]
発音: シン・ギョンスク[4]
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申 京淑(シン・ギョンスク、1963年1月12日 - )は、韓国の女流小説家1990年代以降の韓国文壇を代表する女性作家のひとり。

略歴

全羅北道井邑市にある平山申氏同姓一族村の貧しい家で、五人兄弟の長女として生まれる。

職業訓練院で技術を身につけるため母方の従姉とともにソウルへ上京、女工として働きながら夜間学校である永登浦女子高校産業体特別学級に入学、勉強を続けた。永登浦女子高校を卒業後、ソウル芸術専門大学文芸創作科に入学、作家としての修練を積む。

ソウル芸術専門大学を卒業して1年後の1985年、文芸中央主催の新人文学賞に『冬の寓話』(겨울우화)が入選、文壇デビューをする。第2作目の『オルガンのあった場所』(풍금이 있던 자리、1993年)がヒットし、人気作家としての地位を確立、その後の作品は常に数十万部数のベストセラーとなっている。

申の作品の人気は、その緻密な構成と観察力にある。作中人物の内的心理を深く探求する手法が独特の文体を生み出している。1990年代頃より文壇で活躍し出した女性作家達のリーダー的存在とも言える。彼女は、1993年韓国日報文学賞を受賞したのを皮切りに東仁文学賞現代文学賞李箱文学賞等、数多くの文学賞を受賞している。その作品は日本にも紹介され、女性から支持を得ているほか、津島佑子との共作『山のある家井戸のある家』を発表するなど、日本人作家との交流もある。

年譜

受賞歴

邦訳作品

単行本

  • 『離れ部屋』安宇植訳、集英社、2005年
  • 『山のある家井戸のある家―東京ソウル往復書簡』、きむふな訳、集英社、2007年
  • 『母をお願い』安宇植訳、集英社、2011年
  • 『オルガンのあった場所』きむふな訳、クオン新しい韓国の文学、2021年
  • 『父のところに行ってきた』姜信子・趙倫子訳、アトラスハウス、2024年

アンソロジー

  • 岸井紀子訳「バドミントンをする女」『冬の幻‐韓国女性作家短篇集』朝日カルチャーセンター図書出版室、1995年
  • 岸井紀子訳「よりそう灯り」『現代韓国短篇選』岩波書店、2002年
  • 李裕淑訳「浮石寺へ」『韓国現代中・短編小説選』素人社、2005年
  • 安宇植訳「いま、私たちの隣りに誰がいるのか」『いま、私たちの隣りに誰がいるのか―Korean Short Stories』作品社、2007年

代表作品

  • 1990年 『겨울우화』(冬の寓話)
  • 1993年 『풍금이 있던 자리』(オルガンのあった場所)
  • 1994年 깊은 슬픔
  • 1995年 외딴방
  • 1996年 『오래 전 집을 떠날 때』(ずっと前家を離れる時)創作と批評社、2005年に『감자 먹는 사람들』(じゃがいも食べる人々)に改名して再刊[5]
  • 1998年 강물이 될 때까지
  • 1999年 기차는 7시에 떠나네
  • 2000年 딸기밭
  • 2001年 바이올렛
  • 2002年 J이야기
  • 2003年 종소리
  • 2004年 아름다운 그늘
  • 2005年 감자 먹는 사람들
  • 2006年 깊은 슬픔
  • 2007年 리진
  • 2009年 『엄마를 부탁해』(母をお願い)
  • 2010年 어디선가 나를 찾는 전화벨이 울리고
  • 2011年 모르는 여인들
  • 2013年 달에게 들려주고 싶은 이야기

脚注

  1. ^ a b c d e 인물정보(人物情報) NAVER(韓国語) 2011年9月12日閲覧。
  2. ^ 韓国文学翻訳院文人DB「申京淑」 (한국문학번역원 문인DB 신경숙)
  3. ^ 신경숙 (シン・ギョンスク) chosun.com 포커스 인물 (フォーカス 人物)(韓国語) 2011年9月12日閲覧。
  4. ^ 資料検索(標準) 著者名「申京淑」を「典拠検索」 東京都立図書館 2011年9月23日閲覧。
  5. ^ 이응준 「우상의 어둠, 문학의 타락 | 신경숙의 미시마 유키오 표절」(偶像の闇、文学の堕落 | 申京淑の三島由紀夫剽窃) ハフィントンポスト韓国語版、2015年6月16日