紀元前302年

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紀元前302年
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紀元前302年(きげんぜん302ねん)は、ローマ暦の年である。

当時は、「マルクス・リウィウス・デンテルとマルクス・アエミリウス・パウッルスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元452年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前302年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法

できごと

小アジア

ギリシア

  • アンティゴノス1世の息子デメトリオス1世は、テッサリアカッサンドロスの軍と戦った。カッサンドロスは敗北し、テッサリアの南部を奪われた。アンティゴノスとデメトリウスはこれを祝してヘレニズム同盟を刷新した。スパルタ、メッシニア、テッサリアを除く全てのヘレニズム国家からの大使がコリントに集まり、アンティゴノスとデメトリウス新しい同盟の守護者に選出した。
  • アンティゴノスは敵がすぐ間近に迫っていることに気付き、休戦を締結した。デメトリウスが奪った戦利品は没収された。デメトリウスは父を助けるためにエフェソスに到着した。
  • 亡命中のデメトリウスが反乱に加わり、エピロス王のピュロスは王位を追われた。

中国

  • 昭襄王襄王およびの太子韓嬰が、臨晋で会談した。韓嬰は咸陽を訪問して帰国した。
  • 秦が魏に蒲阪の地を返還した。
  • 太子横が秦の大夫を殺して楚に逃亡し、秦と楚の両国関係が険悪になった。

誕生

死去

脚注

注釈

出典

関連項目