自由民主国民党
自由民主国民党 Volkspartij voor Vrijheid en Democratie | |
---|---|
党首 | ディラン・イェスィルギョズ=ゼヘリウス |
成立年月日 | 1948年1月24日 |
本部所在地 | オランダ、デン・ハーグ |
第二院議席数 |
24 / 150 (16%) |
第一院議席数 |
12 / 75 (16%) |
欧州議会 |
5 / 29 (17%) |
党員・党友数 |
26,550 (2022年[1]) |
政治的思想・立場 |
中道右派・保守[2] 保守自由主義 新自由主義 |
国際組織 |
自由主義インターナショナル 欧州自由民主改革党 欧州刷新 |
公式サイト | 自由民主国民党(VVD)公式ホームページ |
自由民主国民党(じゆうみんしゅこくみんとう、オランダ語: Volkspartij voor Vrijheid en Democratie、略称:VVD[2])は、オランダの自由主義政党。自由民主人民党とも訳される[3]。党首は現首相のマルク・ルッテ。
VVDは「民間企業の最も声高な支援者」と呼ばれる[要出典]。また、社会自由主義を志向する民主66と対比して、市場自由主義(新自由主義、Neoliberalism)志向であるとしばしば受け取られている。
自由主義インターナショナル、欧州自由民主改革党に加盟している。
歴史
結党から1960年代前半まで
VVDは1948年1月24日、自由党(1946~48年)と、労働党(PvdA)に加わっていた自由主義左派が合流して結成された[4][5]。初代党首にはピーター・ウードが就任した。
1948年から1952年まではウィレム・ドレース内閣の連立与党(PvdA、カトリック人民党(KVP)、キリスト教歴史同盟(CHU))に加わった。1952年の第二院(下院)選挙では1議席増となったが、連立組み換えで野党となった。1959年の第二院選挙後にはKVPのヤン・デ・クヴァイ内閣の連立与党(KVP、反革命党(ARP)、CHU)に加わった。ピーター・ウードは1963年に政界引退を表明し、党首を辞任した。
1963年の第二院選挙では議席を減らしたものの、同じ連立与党によるヴィクトル・マリネン内閣に参画した[6]。1965年にマリネン内閣が崩壊すると、続くヨー・カルス内閣とイェレ・ゼイルストラ内閣では野党となった。
1960年代までのVVDは、いわゆる「柱状化社会」の中で他の自由主義的な組織(オランダ経団連(VNO)、放送局(AVRO)等)と緩やかなつながりを持ち、勢力を維持した。
1960年代後半以降
1966年には、VVDのアムステルダム市議会議員だったハンス・グライテルスらのイニシアチブによって民主66(D66)が設立され、党内左派グループや青年組織からの参加者が生じた。こうした政治構造の変化を受けて、1971年に党首になったハンス・ウィーゲルは労働者階級や中間層への支持の拡大を図った。
1972年の第二院選挙では6議席増の22議席を得た。PvdA等の連立によるヨープ・デン・アイル内閣を野党の立場から批判し、1977年の第二院選挙では更に6議席を増やして28議席とした。選挙後に、キリスト教民主アピール(CDA)とVVDの2党の連立により第1次ドリース・ファン・アフト内閣を成立させた。1981年の第二院選挙では2議席減の26議席となり、連立与党の議席は過半数割れとなり、第2次・第3次ドリース・ファン・アフト内閣では連立与党から外れた。翌年、ハンス・ウィーゲルは党首を辞任した[7]。
この間の党勢拡大の結果、1982年には党員数が10万2888人と党史上最多を記録している[1]。
新たに党首となったエド・ナイペルスの下で、1982年の第二院選挙では10議席増の36議席を獲得した。CDAと共に第1次ルード・ルベルス内閣を成立させた。1986年の第二院選挙では9議席減の27議席に留まったが、引き続きCDAと第2次ルード・ルベルス内閣を維持した。ナイペルスは入閣に伴い党首を引き、Joris Voorhoeveが党首となった[8]。
1989年には、環境対策の総合計画におけるガソリン税の増税やマイカー通勤者の通勤費非課税措置の上限額引下げをめぐって、VVDと内閣が対立して内閣総辞職に至った[8][9]。その後行われた第二院選挙では5議席減の22議席となった。第3次ルベルス内閣は連立与党をPvdAに変えたため、VVDは野党となった。
1990年代以降
1990年にはフリッツ・ボルケスタインが党首になった。1994年の第二院選挙でVVDは議席を9増やして31議席とすると、PvdAのウィム・コック首相率いる「紫連立」に加わった。この連立内閣の下で規制緩和や、安楽死や売春の合法化などのリベラルな改革が進められた[10]。1995年の地方議会選挙で大勝し、第一院で初めて第1党となり、1998年の第二院選挙では38議席まで議席を伸ばした。ボルケスタインは欧州委員に就任するために党首を退いた。後任にはハンス・ダイクスタルが就任した[11]。
2000年代以降
2002年の第二院選挙では、選挙前には優勢が予想されていたものの、ピム・フォルタインリスト(LPF)の台頭とピム・フォルタイン殺害事件の影響などから、24議席まで議席数を減らした。ハンス・ダイクスタルは党首を退き、ヘリット·・ザルムに交代した[12]。選挙後にはCDAのヤン・ペーター・バルケネンデを首班とする第1次バルケネンデ内閣の連立与党にLPFと共に加わった。翌2003年にLPFの党内の混乱により内閣が瓦解すると、同年の第二院選挙では28議席まで議席を回復させ、第2次バルケネンデ内閣の連立与党(CDA、D66)となった。
2004年にはVVDの下院議員のヘルト・ウィルダースが、トルコの欧州連合加盟をめぐる党内対立などから離党した(ウィルダースは後に自由党(PVV)を結成する)。
2006年には地方議会選挙の敗北を契機に、新たにマルク・ルッテが党首に就任した。同年にはVVD所属のアヤーン・ヒルシ・アリ下院議員の国籍問題を契機にD66が連立を離脱したため[12]、(第3次)バルケネンデ内閣は少数与党となった。VVDは同年の第二院選挙では22議席しか獲得できず、翌年発足した第4次バルケネンデ内閣には加わらず、野党となった。
2010年代以降
2010年の第二院選挙で31議席を獲得し、結成後初めて第二院で第1党となり、CDAとの連立とPVVの閣外協力による第1次ルッテ内閣を成立させた。2012年の第二院選挙では41議席に伸ばし、連立相手をPvdAに変えて第2次ルッテ内閣を形成した。2017年の第二院選挙では33議席に減らしたが第1党を維持し、7か月にわたる連立交渉を経てCDA、D66、キリスト教連合(CU)との4党連立による第3次ルッテ内閣を成立させ、政権を維持した[13]。
2021年の第二院選挙では34議席を得て第1党を維持し、9か月の連立協議を経て、同じ連立与党による第4次ルッテ内閣が成立した[14][15]。
2023年8月14日にディラン・イェスィルギョズ=ゼヘリウス司法相が新党首に就任[16]。同年11月22日に執行された第二院選挙では10議席減らし24議席と敗北し、極右の自由党(37議席)、労働党とグリーンレフトが組む左派連合(25議席)にも抜かれ議会内第3勢力に転落した[17]。
イデオロギーと政策
自由民主国民党 (VVD) は自由主義の理念の下に設立され、市場の自由をオランダの政党の中で最も熱心に支持してきた。古典的自由主義、経済自由主義、文化自由主義の立場をとる一方で、オランダの福祉国家の建設にも関わってきた。
VVDの根本的な方針は、「リベラルマニフェスト Liberaal Manifest」と呼ばれる文書や選挙綱領に述べられている。最新の「リベラルマニフェスト」は2005年に発表されたものである。この中では、民主主義、安全保障、自由、市民権の4つのテーマから方針が述べられている。
選挙結果
国会 (スターテン・ヘネラール)
選挙年 | 得票数 | % | 獲得議席数 | +/- | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1948 | 391,861 | 7.95 | 8 / 100 |
連立与党 | |
1952 | 471,038 | 8.83 | 9 / 100 |
1 | 野党 |
1956 | 502,530 | 8.77 | 9 / 100 |
野党 | |
13 / 150 |
4 | ||||
1959 | 732,758 | 12.21 | 19 / 150 |
6 | 連立与党 |
1963 | 643,820 | 10.29 | 16 / 150 |
3 | 連立与党(1963-1965) |
野党(1965-1967) | |||||
1967 | 738,229 | 10.73 | 17 / 150 |
1 | 連立与党 |
1971 | 653,606 | 10.34 | 16 / 150 |
1 | 連立与党 |
1972 | 1,068,375 | 14.45 | 22 / 150 |
6 | 野党 |
1977 | 1,492,689 | 17.95 | 28 / 150 |
6 | 連立与党 |
1981 | 1,505,311 | 17.32 | 26 / 150 |
2 | 野党 |
1982 | 1,900,763 | 23.08 | 36 / 150 |
10 | 連立与党 |
1986 | 1,596,991 | 17.41 | 27 / 150 |
9 | 連立与党 |
1989 | 1,290,427 | 14.54 | 22 / 150 |
5 | 野党 |
1994 | 1,792,401 | 19.96 | 31 / 150 |
9 | 連立与党 |
1998 | 2,124,971 | 24.69 | 38 / 150 |
7 | 連立与党 |
2002 | 1,466,722 | 15.44 | 24 / 150 |
14 | 連立与党 |
2003 | 1,728,707 | 17.91 | 28 / 150 |
4 | 連立与党 |
2006 | 1,443,312 | 14.67 | 22 / 150 |
6 | 野党 |
2010 | 1,929,575 | 20.49 | 31 / 150 |
9 | 連立与党 |
2012 | 2,504,948 | 26.58 | 41 / 150 |
10 | 連立与党 |
2017 | 2,238,351 | 21.29 | 33 / 150 |
8 | 連立与党 |
2021 | 2,279,130 | 21.87 | 34 / 150 |
1 | 連立与党 |
選挙年 | 得票数[19] | %[18] | 獲得議席数[20] | +/- |
---|---|---|---|---|
1948 | 3 / 50 |
|||
1951 | 4 / 50 |
1 | ||
1952 | 4 / 50 |
|||
1955 | 4 / 50 |
|||
1956 | 4 / 50 |
|||
7 / 75 |
3 | |||
1959 | 8 / 75 |
1 | ||
1963 | 7 / 75 |
1 | ||
1966 | 8 / 75 |
1 | ||
1969 | 8 / 75 |
|||
1971 | 8 / 75 |
|||
1974 | 12 / 75 |
4 | ||
1977 | 15 / 75 |
3 | ||
1980 | 13 / 75 |
2 | ||
1981 | 12 / 75 |
1 | ||
1983 | 17 / 75 |
5 | ||
1986 | 16 / 75 |
1 | ||
1987 | 12 / 75 |
4 | ||
1991 | 12 / 75 |
|||
1995 | 23 / 75 |
11 | ||
1999[21] | 39,809 | 19 / 75 |
4 | |
2003[22] | 31,026 | 19.19 | 15 / 75 |
4 |
2007[23] | 31,360 | 19.23 | 14 / 75 |
1 |
2011[24] | 34,590 | 19.65 | 16 / 75 |
2 |
2015[25] | 28,523 | 15.79 | 13 / 75 |
3 |
2019[26] | 26,157 | 13.27 | 12 / 75 |
1 |
欧州議会
選挙年 | 得票数 | % | 獲得議席数 | +/- | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1979 | 914,787 | 16.14 | 4 / 25 |
||
1984 | 1,002,685 | 18.93 | 5 / 25 |
1 | |
1989 | 714,745 | 13.63 | 3 / 25 |
2 | |
1994 | 740,443 | 17.91 | 6 / 31 |
3 | |
1999 | 698,050 | 19.69 | 6 / 31 |
||
2004 | 629,198 | 13.2 | 4 / 27 |
2 | |
2009 | 518,643 | 11.39 | 3 / 25 |
1 | |
3 / 26 |
※リスボン条約批准後の議席数見直し後 | ||||
2014 | 571,176 | 12.02 | 3 / 26 |
||
2019 | 805,100 | 14.64 | 4 / 26 |
1 | |
5 / 29 |
1 | ※英国のEU離脱に伴う議席数見直し後 |
支持基盤
伝統的に、富裕ビジネスマン層,中間層,ホワイトカラー層を支持基盤とするとされる[2]。
党組織
党大会
党大会は年に2回開催される[27]。
党員数
2022年時点の党員数は26,550人とされる[1]。1970年代末から80年代初頭にかけて、一時10万人以上の党員数を記録していたが、近年は減少傾向にある。
関連組織
- テルダース財団(蘭: TeldersStichting):党シンクタンク。 1954年4月6日設立[28]。ライデン大学の法学者で元自由党党首だったベンジャミン・テルダース(1903-1945)にちなんで名付けられた。
- 青年組織自由と民主主義(蘭: Jongeren Organisatie Vrijheid en Democratie (JOVD)):青年組織。1949年2月26日設立[29]。欧州リベラルユース及びリベラルユース国際連盟に加盟している。
- ハヤ・ヴァン・ソメレン財団(蘭: Haya van Somerenstichting):教育訓練機関。1969年から1974年まで党議長を務めたハヤ・ヴァン・ソメレン(1926-1980)にちなんで1981年に名付けられた。
国際組織
民主66と共に、欧州自由民主改革党(ALDE)、自由主義インターナショナル(LI)に所属している。欧州議会の会派としては、民主66と共に欧州刷新(2019年までは欧州自由民主同盟)に所属している。
脚注
- ^ a b c “VVD ledentallen per jaar (1948- )” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
- ^ a b c ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 コトバンク. 2018年9月10日閲覧。
- ^ 水島治郎 (2021年8月27日). “第5章 オランダ” (PDF). 経済・社会文化・グローバリゼーション. 総合研究開発機構. 2022年12月30日閲覧。
- ^ 網谷龍介・伊藤武・成廣孝『ヨーロッパのデモクラシー』ナカニシヤ出版、2009年。
- ^ “Geschiedenis 1948” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
- ^ “Geschiedenis 1948 - 1963” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
- ^ “Geschiedenis 1971 - 1982” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
- ^ a b “Geschiedenis 1982 - 1990” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
- ^ 林瑞枝「地球環境をいうとき―ストックホルムからサンパウロへ―」『時の法令』第1411号、朝陽会、1991年10月15日、72頁。
- ^ 津田由美子・吉武信彦『北欧・南欧・ベネルクス』ミネルヴァ書房、2011年。
- ^ “Geschiedenis 1990 - 1998” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
- ^ a b “Geschiedenis 1998 - 2006” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
- ^ “オランダ4党が連立で合意、総選挙から7カ月経て”. Reuters. 2020年12月30日閲覧。
- ^ “過去最長の約9カ月間を経て連立政権の合意成立(オランダ)”. 日本貿易振興機構 (2021年12月24日). 2022年12月30日閲覧。
- ^ “第4次ルッテ内閣が発足、民間からも閣僚へ登用(オランダ) - ビジネス短信”. 日本貿易振興機構 (2022年1月18日). 2022年12月30日閲覧。
- ^ “Dutch Justice Minister Becomes New Leader of Rutte’s VVD Party”. bloomberg.co.jp. ブルームバーグ. (2023年8月14日) 2023年11月25日閲覧。
- ^ “オランダ下院選、第1党の極右党首が首相就任に意欲 連立難航も”. ロイター. (2023年11月24日) 2023年11月25日閲覧。
- ^ a b c 出典はオランダ選挙管理委員会(Kiesraad - verkiezingsuitslagen)掲載データ(2022年10月15日閲覧)
- ^ 州の人口に基づく投票価値係数で調整した後の値。
- ^ “Zetelverdeling in de Eerste Kamer 1917-nu”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
- ^ “Eerste-Kamerverkiezingen - 25 mei 1999”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
- ^ “Eerste-Kamerverkiezingen - 26 mei 2003”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
- ^ “Eerste-Kamerverkiezingen - 29 mei 2007”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
- ^ “Eerste-Kamerverkiezingen - 23 mei 2011”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
- ^ “Eerste-Kamerverkiezingen - 26 mei 2015”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
- ^ “Eerste-Kamerverkiezingen - 27 mei 2019”. Nederlandse verkiezingsuitslagen 1918-nu. 2022年10月11日閲覧。
- ^ “VVD congressen” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。
- ^ “Over TeldersStichting” (オランダ語). TeldersStichting. 2022年12月30日閲覧。
- ^ “Geschiedenis jaren vijftig” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年12月30日閲覧。