菊山嘉男
菊山 嘉男(きくやま よしお、1889年(明治22年)3月5日[1] - 1977年(昭和52年)2月23日[2])は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。
経歴
三重県出身。菊山末造の長男として生まれる[1]。第七高等学校造士館を卒業。1913年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し千葉県属となる[1][3]。
以後、大分県警察部長、朝鮮総督府事務官、同専売局長[4]などを歴任[1]。
1933年8月、山口県知事に就任。県会と協調して県政を行う。農山漁村経済更生計画を推進した[1]。1936年6月、宮城県知事に転任。1939年4月、知事を退任[5]。同年に退官した[3]。1939年、京都市助役。1942年、繊維製品統制協議会理事長に就任[5]。
戦後、中央行政監察委員会事務局長、地方財政委員などを歴任。1957年、公明選挙連盟理事となった[5]。
著作
- 『伊達政宗の南蛮遣使と使節支倉六右衛門』藩祖伊達政宗公顕彰会、1938年。
脚注
- ^ a b c d e 『新編日本の歴代知事』860頁。
- ^ 『朝日新聞』(東京本社発行)1977年2月24日朝刊、23面の訃報より。
- ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』205頁。
- ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』132頁。
- ^ a b c 『新編日本の歴代知事』151頁。
参考文献
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。