蓋婁王
蓋婁王 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 개루왕 |
漢字: | 蓋婁王 |
発音: | ケルワン |
日本語読み: | がいるおう |
ローマ字: | Gaeru-wang |
蓋婁王(がいるおう、生年未詳 - 166年)は百済の第4代の王(在位:128年 - 166年)であり、先代の己婁王の嫡男。128年11月に先王の死去により王位についた。諱・諡は伝わっていない。子に肖古王。
治世
132年2月、北漢山城(現在のソウル特別市鍾路区)を築いた。
先王のときに築かれた新羅との友好関係は、165年10月に崩れている。その契機は、新羅の阿飡(新羅の官位のひとつ)の吉宣(きちせん、キルソン)が反乱を企てて失敗し、百済に亡命してきたことにある。新羅王(阿達羅尼師今)は吉宣の送還を求めたが蓋婁王はこれをかくまったため、新羅軍の派兵を招いた。このとき百済の諸城は籠城戦を採ったため、新羅軍は撤退した。翌166年、蓋婁王は在位39年にして死去したが、この時より百済と新羅とは敵対関係に入った。
参考文献
- 金富軾撰、井上秀雄訳注『三国史記』第2巻、平凡社〈東洋文庫425〉、1983年 ISBN 4-582-80425-X