豆腐よう
豆腐よう(とうふよう、豆腐餻)は、豆腐を使った沖縄独自の発酵食品である[1][2]。
概要
島豆腐を米麹、紅麹、泡盛によって発酵・熟成させた発酵食品である[1][2]。交易国家として栄えていた琉球王朝時代に明から伝えられた「腐乳」が元になったと言われている[1][3]。中国・台湾の腐乳が雑菌の繁殖を抑えるために製造中に塩漬けにするのに対し、豆腐ようは沖縄で一般的であった泡盛漬けにすることが製法上の大きな違い[3][4]で、豆腐ようの風味や食感に大きく影響する要因ともなっている[3]。
中国から伝わった製法を元にした黄麹(主にコウジカビ(アスペルギルス属))で発酵させる黄色いものと、沖縄で発展した紅麹(主にモナスカス属)で発酵させる赤いものがあり、古来より慶事の時の祝い膳等の食材の着色に用いられていた紅麹を使ったものがより高級とされ、琉球王朝時代の上流階級で珍重された[4]。発酵の効果で泡盛とエダムチーズを合わせたような味わいが特徴。練りウニに例えられることもある[2][3]。より熟成が進んだものほど、豆腐の味はしなくなる。泡盛と共に供するのが最高の組み合わせといわれているが、ビールや焼酎などともよく合う。栄養価も高く、琉球王朝時代には、高貴な人々の間で病後の滋養食としても重宝されたという[1]。タンパク質が多く、胃壁の保護作用がある。また、豆腐ように用いられる紅麹にはコレステロール合成阻害効果がある[5]ため、健康食品としての特色もある。
豆腐ようは、通常冬に製造される[1]。固めの豆腐(一般的には沖縄豆腐)を切り、陰干しした後に泡盛、麹と合わせ、4~5か月ほど熟成して製造される[1][3]。発酵中に、豆腐のたんぱく質が分解される[1]。その分解物の中に、酵素が存在することが確認されている[1]。いわゆる珍味として扱われることが多く[2]、箸や楊枝で少量ずつそいで食べるのが良いとされる。
また、中国に豆腐ようのもととなった豆腐乳(ドウフールー)と呼ばれる食べ物がある。
歴史
- 琉球の宮廷料理人によって現在の豆腐ようの製法が改良され、宮中料理として確立する。
- 1818年 - 1816年に英国海軍将校のバジル・ホールが来琉した際、接待料理として振舞われた宮廷料理に豆腐ようが含まれていたことを「Account of A Voyage of Discovery to The West Coast of Corea, and The Great Loo-Choo Island in The Japan Sea (朝鮮半島西海岸及び日本海上大琉球探検航海記)」として著作[2]。
- 1832年 - 渡嘉敷通寛により「御膳本草」が著され、豆腐ようの特徴、栄養について記載[2][4]。
- 1969年 - 琉球王家第二尚氏子孫の尚順の言として、「松山王子尚順遺稿集」が発刊され、その中で中国の腐乳と沖縄の豆腐ようの違いについて語った記録がある。
- 1980年代 - 王家秘伝として製法が守られてきたが、安田らの研究によって[6]製法の工業化が推進された。
出典
- ^ a b c d e f g h 安田正昭「ユニークな大豆発酵食品(とうふよう)の科学と技術展開」『日本農芸化学会誌』第75巻第5号、日本農芸化学会、2001年、580-583頁、doi:10.1271/nogeikagaku1924.75.580。
- ^ a b c d e f g 安田正昭「豆腐ようと紅麹 (1)」(『日本釀造協會雜誌』78巻11号、1983年) p.839-842, doi:10.6013/jbrewsocjapan1915.78.839
- ^ a b c d e 桂正子「豆腐よう」『日本調理科学会誌』第29巻第4号、日本調理科学会、1996年、314-322頁、doi:10.11402/cookeryscience1995.29.4_314。
- ^ a b c 安田正昭豆腐ようと紅麹(2)(『日本釀造協會雜誌』78巻12号、1983年) p.912-915, doi:10.6013/jbrewsocjapan1915.78.912
- ^ ベニコウジ - 素材情報データベース<有効性情報>(国立健康・栄養研究所)
- ^ 安田正昭「とうふよう製造に関する研究 製造秘伝の科学的解析と技術展開」(『日本食品工業学会誌』37巻5号、1990年) p.403-409, doi:10.3136/nskkk1962.37.5_403
関連項目
外部リンク
- とうふよう(日本トランスオーシャン航空が運営する「美ら島物語」サイト。全7ページ)
- 安田正昭「沖縄の伝統発酵食品-豆腐ようの歴史,発酵と機能性」(『マイコトキシン』63巻1号、2013年) p.67-72, doi:10.2520/myco.63.67